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2009-09

映画会社の日活はそれからどうなったのか

 日本では、いくつもの企業が立ち上がり、そして倒産しています。しかし倒産は必ずしも終わりではなく、民事再生法適用から立ち直るケースも数多くあります。そのため、倒産報道をされたのに今も元気に活動している企業はたくさん存在しています(当然ながらそこから清算に向かった企業も数多くありますが)。
 で、中には何故か倒産、もしくは経営危機のようなニュースを何回か聞いて、その分野に詳しい人じゃなければなんだか今どうなっているのかよくわからない企業というのもあります。そのひとつが映画会社の「にっかつ(日活)」ではないでしょうか。

映画会社の名門、日活

 「にっかつ(日活)」の名前をご存じの方は多いでしょう。特に年配の方には。簡単に歴史を振り返りますと、創立は1912年(大正元年)。昭和初期には経営難と戦時企業統合によって大映に制作部門を吸収されたものの、戦後の1954年(昭和29年)に撮影所を再建したあとは、石原裕次郎などを看板として盛んに映画の発表を行い日活の黄金時代を迎えます。さらにこのあたりでデビューした宍戸錠、浅丘ルリ子などは「日活ニューフェイス」と呼ばれ、長年俳優、女優として活躍することになります。

五社協定と映画の斜陽

 この当時、俳優女優は原則として映画会社の所属でした。そして、日活は盛んに他社からの俳優、女優の引き抜きを行い映画を作成しようとしていましたが、他の映画会社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)はそれに対抗するため、1953年に「五社協定」を結びます。これは各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止するというもので、各社が所有している人材の引き抜き合戦を防止するためのものでした。ちなみに前述の「日活ニューフェイス」など、新人を発掘していたのは、日活がこの五社協定に対抗する意味合いもあったようです。
 ですがこの協定には1958年に日活も参加して「六社協定」となります(三年後に新東宝の倒産で再び五社協定に)。

 しかし、この五社(六社)協定は、結果として俳優、女優や監督の自由な職場選択を妨害する協定にもなってしまいました。そして事実、会社とケンカした俳優、女優は会社を辞めさせられてもこの協定のため他の会社に移籍できず、映画界から干される形となってしまいます。有名なところでは山本富士子、田宮二郎などがその犠牲になります。しかしそれらの俳優は、まだ新興で大きな市場とは言えなかったテレビに活躍の場を移しますが、この当時から急激にテレビ市場が成長しだし、逆に映画産業は斜陽の時代を迎えます。

 余談ですが、この当時の状況を調べてみると、今のテレビとその他媒体(ネットなど)との関係と微妙に重なるところがあるなと思ったりもするのです。

 ■参考:五社協定 – Wikipedia

日活ロマンポルノ時代

 そして1960年代後半の映画産業の斜陽は映画会社を直撃し、まず1961年には新東宝が倒産(ただこれは社長のワンマンぶりが倒産に導いたとの要因もあるようですが)。そして日活もそれらの斜陽に加え社内体制の問題から経営が悪化、各地の劇場を売却し、1970年には日比谷の本社ビルを売却することになります。

 そこで1971年に、それまでの路線から制作費がかからず一定の収入が望める「日活ロマンポルノ」路線へと切り替わります。これは当時にしてみればかなりの驚きだったようです。喩えればコンシューマでやっていた会社がいきなりエロゲー会社になったような衝撃でしょうか(ちょっと違うか)。
 ただ、ここから周防正行、滝田洋二郎、森田芳光といった、現代日本の代表的な監督をデビュー、育成する場所となったために、十分異議のある場だったと思われます。

 ■日活ロマンポルノ – Wikipedia

 しかし、1982年代後半からのビデオ及びアダルトビデオの普及で、このような映画も衰退期を迎えます。そして「ロッポニカ」レーベル、CSのチャンネルNECO設立などを行いますが、それもうまくいかず、バブル崩壊後の1990年代には経営はさらに悪化してゆきます。

倒産、そして経営母体の変更

 そして、1993年、とうとう会社更生法の適用を申請し倒産。しかしここで経営を支援する企業が現れました。それはゲーム会社のナムコ(現バンダイナムコゲームス)。そして中村雅哉会長がナムコ会長と兼任します。

 ■日活再建を早めたナムコが「映像都市」構想 – ニュース – nikkei BPnet
 ■参考:日活、ナムコのゲーム「太鼓の達人」をクレイアニメ化

 しかし、2000年代になると、今度はゲーム産業のほうに変化が生じ統合が進みます。そしてナムコもバンダイとの経営統合となり(2005年9月30日統合)、それに伴ってかナムコも日活をUSENへ売却を検討。しかしこれは失敗し、その後インデックスがナムコ保有の日活株式を取得し、インデックスグループ傘下の子会社となります。おそらくこの辺りのニュースで、日活がどうなったかわからなくなっている人が多いのではないでしょうか。

 ■USEN、ナムコに日活の株式譲渡の白紙撤回を申し入れ
 ■ITmediaニュース:インデックス、日活を買収

 その後、2009年、日本テレビがインデックス・ホールディングスから同社保有株式の34.00%の譲渡を受け取得、現在も筆頭株主となっているようです。
 
 ■日本テレビ、日活の株式34%を約24億円で取得へ

現在も映画会社として活動中

 そして現在でも日活は活動しています。最近では『デスノート』や『ヤッターマン』(実写版)の制作に携わっているようです。
 また、映画制作の他、映画館やシネマコンプレックスの経営、それと日活芸術学院の運営、前述のチャンネルNECOなど局の運営も行っているとのこと。

 ■日活
 ■参考:日活 – Wikipedia

 余談ですが、かつて日活同様トップクラスの映画会社として有名だった大映は、徳間書店参加を経て、今は角川書店の角川映画株式会社となっていて、こちらも今も活動しています。東映、東宝、松竹は言うまでもなく続いていますね。

 ■角川映画

 映画を視聴する形は昭和の時代からだいぶ変わってしまいましたが、コンテンツはいつの時代にも不滅だと思いますので、きっと映画や日活も形を変えても生き続けるのではないかと思います。

ユニクロ野菜はそれからどうなったか

上昇ユニクロの低迷時代

 現在の微妙な景気の中でも、絶好調な企業の一つがユニクロ。

 ■NIKKEI NET(日経ネット):企業ニュース-企業の事業戦略、合併や提携から決算や人事まで速報
 ■不況に克つ:「独走」続くユニクロ 繊維大手と二人三脚 ヒット商品、素材から開発 - 毎日jp(毎日新聞)

 しかし、このユニクロもずっと好調を保っていたわけではなく、停滞していた時期もありました。2000年あたりまでフリースなどの売り上げで急成長してからは、低迷期に入ります。そして、その時期より少し前から、その時点での路線での限界を予測していたのか、ユニクロの経営会社である株式会社ファーストリテイリングは様々な手段を模索し始めます。例えばレディースアパレルブランド『ナショナルスタンダード』(2006年3月解散)の子会社化など。

 ■ナショナルスタンダード – Wikipedia

 その中で「何でユニクロがそんなところに?!」というので話題になったのが、ユニクロの野菜販売進出。

ファーストリテイリングの野菜販売「SKIP」

 ファーストリテイリングは2002年9月、子会社・株式会社エフアール・フーズを設立します。そして、「SKIP」というブランド名で野菜などの食料品を販売することを発表します。

 ■日本消費経済新聞 企業情報・新商品 2002年11月04日号

 上の記事によると、売り方の形態は何もユニクロの店舗で売るわけではなく、通信販売形態で、以下の通り。

販売の柱となるのは会員制の定期購入クラブ「SKIPクラブ」。隔週ごとに「おまかせ」で旬の野菜や果物の詰め合わせが届く(送料200円)。家族の人数に応じて3つのコースから選べる。牛乳、たまご、米、ジュースなどはオプションで追加できる(初回会員数は1万5千人限定)。

 そして野菜のほか果物や牛乳、卵なども扱っており、全買い上げ契約を結んだ全国500余りの「農業家」が提供するという形だったようです。

 さらにその野菜にも特徴がありました。

余分な水と肥料を極力抑え、自然本来の持つ力を引き出すという永田照喜治さん提唱の「永田農法」で生産。時間をたっぷりかけてつくるこの農法は、糖度の高いトマトなどで有名だ。野菜によっては除草剤を使わないと決めたものもある。おいしさに加えて、栽培履歴の公開、重要と思われる50種余の残留農薬検査(抜き取り検査)の実施など、安全性にもこだわり、〝品質に見合った安定した価格〟で届ける。通常のスーパーの野菜よりは多少高くなるが、「日本人の舌なら野菜の本当のおいしさをわかってもらえる」(柚木社長)。品質を優先し、その上で、物流をシンプルにするなどコストを極力下げる努力を続ける。「日本の野菜が世界一おいしい」といわれるようにすることが夢だ。

 このように、高品質な野菜を通販で届ける形として事業を開始したのですね。ある意味低価格路線で且つ代表的な店舗売りのユニクロとは対極かもしれません。

 ■参考:安心ブランドを作る表現と仕組み、ユニクロ野菜のSKIP – ニュース – nikkei BPnet

 また通販だけではなく、松屋銀座本店に店舗を開くなどもしていたようです。

業績低迷

 しかし、当初から売り上げが低迷。初年度8か月間(2002年10月~2003年6月期)の売上高は、当初見込みの約半分の6億円程度だったということ。

 ■株式会社エフアール・フーズ 代表取締役社長 柚木治氏 – インタビュー – 環境goo

 上のインタビューによると、会員数の伸びは計画通りだが、単価と購入頻度が予想を下回ってしまったとのこと。その主因は2つ価格の高さと、会員制コースの使い勝手の悪さを挙げています。

エフアール・フーズ解散

 そして2004年3月、株式会社エフアール・フーズは解散してしまいました。

 ■【社長の】「ユニクロ」食品販売子会社解散、特損28億円【肝いり】 - 2ch NewsZIP[痛いニュース+](当時の2chニューススレより)

 設立が2002年9月ですから、1年半の早期で撤退したことになります。2003年6月期は9億円強の経常赤字だったとのこと。

何故撤退に追い込まれたのか

 何故、SKIPは撤退せざるを得なかったのでしょうか。ぱっと思いつくものとしては、ユニクロの衣料品的イメージと青果のイメージが結びつかなかった人が多かったこと、同時に低価格イメージがついていたユニクロのイメージが野菜にもついてしまい、特売野菜の販売みたいなイメージがつきまとってしまったこと、数少ない加入者も、生活協同組合のような既存の組織と需要が重なってしまった点などがありますね。しかし何事にも増して、1年半で見切ってしまったファーストリテイリング柳井会長の即断性があるでしょう。ある意味この決断力がユニクロを成長させてきたのかもしれません。

 これらついて、SKIPを利用していたという finalventさんの見解が興味深いので、以下に。

 ■極東ブログ: ユニクロ野菜の失敗

今ならうまくいくか

 ただ、事業としては早期終了してしまいましたが、調べる限り実際に頼んだ人からは好意的な意見が多いのですよね。

 ■ユニクロの野菜 – 関心空間
 ■ウワサでは聞いていたけど、果たして美味しいの? ユニクロ野菜「SKIP」試食 – [子育て事情]All About

 きっと、安心でうまい野菜を手に入れたいという需要はあるとは思うのですよね。ただ、それには現時点では手間とコストがどうしてもかかってしまうと。
 農業に対しての注目が高まっている昨今、またファーストリテイリング、もしくはほかの企業がこのような経験を糧として、また良質な農作物を簡単に入手できるような仕組みを構築して、広まればいいなとは思います。

サティアンのあった上九一色村はその後どうなったか

1995年の衝撃

 昭和50年代生まれの私にとって、今まで社会的に一番印象に残っている年はいつか、と聞かれれば、1995年と答えるでしょう。それは1月17日の阪神淡路大震災、そして3月20日の地下鉄サリン事件から始まる一連のオウム事件があったからです。この年はこれらのことを全く目や耳にしない日はないくらいでした。今思ってもなんというか日本が独特の雰囲気に包まれていたような年だったと思います。
 私は当時学生でしたが、おそらくこんな衝撃的な出来事が起こる年は一生のうちでまたあるかと思う位でした(2001年9月の新宿ビル火災と911にもさすがに驚いたけど)。

 さて、この当時毎日のようにこれら、とりわけオウム事件についての報道がなされ、それらのニュースがない日はありませんでした。当時はまだインターネットやケータイは全然普及していない時代ですので、主な情報入手先はテレビや新聞でした。今考えてみれば、ここが日本人が一番多くテレビに集中した最後の時だったのかもしれないなんて思ったりします。

 で、そんなわけで連日オウムの報道がなされていて、そこでよく使われた言葉は子供でさえ覚えているくらいでした。当時バイトに行った子供のイベントで、小学生が「ああ言えば上佑」とかオウムの歌を歌っていたのには、そこまで影響してたんだ…と妙な関心をしたものです(当時小学生だった人は今は20代前半くらいでしょうが、やっぱそうだったのかなと)。
 そんな中、それまでは日本人の多くの人が知らなかったのに一気に知れ渡った単語と地名があります。それが「サティアン」と「上九一色村」。

オウムの拠点

 この単語、20歳以上の人なら覚えている人も多いでしょう。

 ■参考:サティアン – Wikipedia

 簡単に言えばオウム真理教の施設名。地下鉄サリン事件以後はそこへの捜査の模様、そしてそこでわかったことなどが連日報道されました。特に有名なのは、サリンを製造していたと言われる第七サティアンですね。
 ここを舞台に様々な捜査が行われましたが、捜査員がものものしい毒ガス対策装備をしながらガス検知用のインコかカナリアを持って歩くシーン等も繰り返し流され、インパクトに残りました(今思うと中東戦争時のオイルにまみれた鳥映像くらい流しすぎな感はありましたが)。

 で、このサティアンがあった山梨県の村、上九一色村も一気に知名度が広まってしまいました。もともとここには1989年からオウム真理教が施設を建て始めて、ごく一部では「ここで共同生活をしている」とか「パソコンを組み立てている」程度には知られていましたが、この1995年で一気に注目されたと言えます。ちなみに事件の前にここのネタで「ホトトギス神秘教」というギャグをしたマンガがあったのですが、あれは事件後に読んでびっくりした記憶があります。

 その後、一連の捜査が終わり人がいなくなると、ここは興味のある人の観光名所として実際に行ってみる人がそれなりにいたそうです。しかし翌1996年には、そおサティアン全体が取り壊されてしまいました。
 さて、その上九一色村ですが、この一連のオウム騒ぎによって本来の村民自体はオウムと殆ど関わりがなかったにもかかわらず、ネガティブなイメージがついてしまったために、その回復に悩まされることになります。

富士ガリバー王国建設

 そこで、1997年に村のイメージ回復のためにテーマパーク「富士ガリバー王国」が設立されます。名前の通り、ガリバーが横たわっていたりする欧風のテーマパークで、最初の頃は話題になった上九一色村でテーマパークが出来たということで、何度かニュースで紹介されていた記憶があります。

 しかしその矢先、1999年に運営会社のメインバンク、新潟中央銀行が経営破綻になり、その煽りを受けます。加えて来場者数も伸び悩みます。それは長引く不況のせい、そしてかつてのイメージがぬぐえなかったせいもあるかもしれませんが、個人的にはそれよりも交通アクセスの悪さがあると思います。いや、ここ車以外での到達が非常に難しいのですよね。鉄道から遠いし。自分もちょっと仕事に暇が出来たので、実際に跡地のいけるところに行って(廃墟でも管理下にある施設に入ったら不法侵入となるのでたいていは外側からくらいしか無理)様子を見てこようかなとは思ったのですが、ここ、鉄道で到達するのが困難なので、車のない私は断念しましたし。

 ちなみにそのHPが今でも残っていました。

 ■富士ガリバー王国

 ホームページが独自ドメインではなく、アサヒネット内なのが時代を感じさせます。

富士ガリバー王国閉鎖、そしてザ・ドッグランオープン

 そして2001年10月28日、閉鎖となります。ちなみにその後、跡地は心霊スポットとして一部で有名になったようです(未確認情報ですが、その際侵入した人が不法侵入で書類送検もされたりしたようです)
 その後2002年にタカギリゾート(現・壮快美健館)がこの土地を買収します。

 ■ガリバー王国の競売→タカギリゾートが落札=山梨県上九一色村[021128](当時の2chニューススレより)

 そしてその後、この土地に愛犬家が犬と遊ぶための施設『ザ・ドッグラン』が2004年08月にオープンします。

 ■芝生の上で愛犬と遊ぶ上九一色に「ザ・ドッグラン」オープン

更地に

 しかし、やはり交通の便が災いしたのか、2005年には営業を休止(ちなみに、この当時日本各地でテーマパークが閉鎖しています)。その後2006年には不動産大手のアーバンコーポレイションが買収します。そして2007年には既存の構造物全般を解体し更地になったようです。しかし、最近のことなのでご存じの方もいると思われますが、アーバンコーポレイションは2008年8月13日に経営破綻してしまいます。

 ■2008年8月13日(アーバンコーポレイション – Wikipedia)

 アーバンコーポレイションは現在経営再建中でありますが、この跡地の持ち主がどうなっているのかは不明です。

 ■参考:【地域経済】「ガリバー王国」閉園から6年…跡地利用針路どこへ 山梨 [08/04/11](2chのニュース記事より)
 ■参考:富士ガリバー王国 – Wikipedia

名前が消えた上九一色村

 さて、この土地の所有者だけではなく、実はこの地域の名前も変わっているのです。
 平成10年代に頻繁に行われた「平成の大合併」において、この上九一色村も他の市町村と合併することになったのですが、そこでちょっと変わった現象が起きます。ここには南側に精進と本栖と富士ヶ嶺、北側の山峡には梯と古関の各地区があったのですが、それぞれの関係性は交通の都合上など薄かったたため、いろいろな協議がありながら、合併時には北部は甲府市などと、南部は河口湖町などとの合併を行うこととなり、2006年3月に北部は甲府市・中道町と、南部は富士河口湖町(河口湖町、勝山村、足和田村が合併した名前)と上九一色村南部の合併が行われます。これによって「上九一色村」の名前はなくなりました。

 ■麻原被告逮捕から10年…上九一色村消滅 – nikkansports.com > 社会ニュース
 ■参考:甲府市・中道町・上九一色村 合併協議会
 ■参考:livedoor ニュース – [特集]オウムの幻影を追って(1)
 ■参考:上九一色村 – Wikipedia

これからどうなるか

 前述のように、現在は特に何もない場所になっているようです。やはり交通の便がネックでしょうね。ただ、このあたりには本栖ハイランドなどオフロードコースがあり、そっちが趣味な人には人気があるみたいです。

 ■本栖ハイランド – 精進湖・本栖湖・富士ヶ嶺地区・朝霧地区のレジャー/スポーツ施設/情報です。

 また、本栖湖方面には高速バスが走っており、山の中でのキャンプやリゾート客も訪れているとのこと。

 あと何十年後かには、この甲府のあたりに中央新幹線(リニアモーターカー)の駅が出来て、東京から数分で来られる地域になります、その時にはここはまた注目される土地となるのでしょうか。

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