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2009-05

PCメーカーのソーテックはそれからどうなったのか

 今、パソコンを売っていてそれなりにシェアを取っているメーカーというのはわりと限られていますが、2000年前というのはまだPC普及期であったため、今とは違うメーカーがいくつも存在していました。例えば外資系の「コンパック」や「ゲートウェイ」、そして国内では「ソーテック」。

1984年設立のPCメーカー「ソーテック」

 PC歴が5年以上の人は、「ソーテック」の名前をご存じの方も多いと思われます。というのは5年前くらいまではわりと低価格帯のブランドとしてはかなり有名な存在だったのですよね。

 この会社は1977年、大邊創一氏がマイコンショップ工人舎を設立したのが前身で、その技術部門が分かれて1984年4月にソーテックが設立されます。で、当初は主にOEMでPCの製造をしていたみたいです。
 そして1997年、PC分野では当時韓国でサムスンやLGに続いて大きなメーカーであり、ソーテックの生産依託先でもあった三宝コンピュータの傘下に入ります。そしてここから「PC STATION」など、独自ブランドの国内販売を強化していました。
 ちなみにソーテックは韓国メーカーだという話が有名になった後も何度か聞かれましたが、これは上の様に一時期韓国メーカーの資本下にあったためと思われます。

iMacの類似品「e-one」

 さて、この2000年あたりの主流は圧倒的にWindowsとなっていて、一般層にはAppleのマッキントッシュの選択肢はほとんどないくらいでしたが、ここでAppleからあるものが発売されました。それは「iMac」。
 それまでにないスタイリッシュなデザイン、手ごろな価格など数々の特徴が人気となり、一般層からも多くの購入者を生み出し一躍ヒット商品となります。

 ■iMac – Wikipedia

 すると、WindowsパソコンでもiMacに似たデザインの商品が次々に出されることになります。そしてソーテックもその「e-one 433」という、ブルーのスケルトンボディを採用したiMacに似たWindowsマシンを販売することになりました。まあはっきり言ってしまえば、ほとんどWinパソコンのiMac。これは当時のWin系パソコン雑誌などにもよく掲載されていたりしたのもあって、話題になりました。ただ、一番の話題は「これ、訴えられるんじゃね?」っていう方向ででしたが。
 そして予想通りアップルはソーテックをはじめとしたこれらの類似品を出したメーカーに対し、アップルが提訴して、1999年9月20日に東京地方裁判所により製造・販売を禁止する仮処分が下されました。

 ■東京地裁、e-oneに対し製造および販売禁止の仮処分決定 ※e-oneとiMacの画像有り

 この騒動で業績が低下したため、キョウデンと資本・業務提携し、三宝の出資比率を下げたとのことです。

ソーテックの知名度上昇

 しかし、この騒動はプラスに働いた面もあります。それはこれで低価格帯PCを売る「ソーテック」というブランドの知名度が上がったこと。2000年前後はパソコンの発展期でPCの販売戦争が始まっていましたが、当時のパソコンの平均価格はほとんどが大メーカーから出ているもので、20万以上というのが多かったのです。しかしそこでソーテックは低価格路線を打ち出し、10万円台やそれ以下のデスクトップパソコンを展開し、安価でPCを購入したいけど、自作まではできない人達の間で注目が集まります。
 そして2000年には、ナスダックジャパン(現ヘラクレス)にも上場します。
 ちなみに下のは、当時の雑誌に載っていた広告。

 sotec

サポートの悪評

 しかし、ソーテックについては低価格の評判に反して、あまりよくない評判もありました。それは壊れやすい、そしてサポートセンターになかなかつながらない等。ローコストのしわ寄せが品質管理とサポートに来てしまったということがよく噂されました。
 実際、当時私が勤めていた会社でもテスト用の新PCをソーテックので入れたのですが、1日で動かなくなってそのまま送り返した経験があります。まあ初期不良はどのメーカーでもあるので一概にソーテックだけ飛び出て悪いとは言えませんが、サポートのつながり辛さは本当だったと思います.。
 以下Wikipediaより。

品質管理の甘さ(これは後年ソーテック自身が認める事になる)により多くのクレームを引き起こし、ネット上(特に2ch)で『総鉄屑』と呼ばれる大騒動となった。サポートの電話も混雑して繋がらず、ソーテックも「電話1台しかないんか」と題する自虐的広告を出す程だった。 

 ■参考:ソーテック – Wikipedia

創業者社長退任&工人舎設立

 そして、2000年代中盤になると、DELLなど海外メーカーも低価格路線をスタートして、ソーテックのアドバンテージがなくなってきます。といってもこの時代はパソコン需要がだいたい満たされたせいで、どのメーカーも売り上げを落としていたのですが。
 そんな中の2004年、キョウデンが持ち株をロスチャイルド・三井物産合弁のアクティブ・インベストメント・パートナーズに売却し、創業者の大邊社長が退任します。
 この時、大邊社長は工人舎という会社を設立し、そちらに移りました。これは前身の会社と同じ名前です。

ソーテック、オンキヨーの傘下→解散

 その後もソーテックは低迷を続けます。打撃の決め手となったのは、韓国に設立した関連会社ソーテック・コンピューター・コリアの社長が業務商は委任を行ったことが引き金となり、業績が悪化して解散を決定したことでしょう。
 結果2007年7月2日にはオンキヨーによる公開買い付けおよび第三者割り当ての引き受けにより、オンキヨーの子会社となることが決定しました。
 そして2007年7月15日、オンキヨーに吸収合併されることで上場廃止。解散となります。

ソーテックブランドは残る

 現在ですが、PCブランドとしてのソーテックは現在でもオンキヨーのものとして存続しています。

 ■パソコン(PC)・ノートパソコンなどの購入・通販サイト|ソーテック

 また、工人舎は現在人気のネットブック市場でその名前をよく見かけます。

 ■製品情報 | KOHJINSHA ※トップページを全面フラッシュなので、製品ページ。

PCメーカーの栄枯盛衰

 あと、最初にソーテックに出資していた三宝コンピュータも、昔は韓国3位と言われていましたが、2005年には倒産してしまいました。

 ■レノボ、韓国第3のメーカー「三宝コンピュータ」買収へ動く?:コラム – CNET Japan

 あと、最初に挙げたコンパックはヒューレット・パッカードと合併(事実上の吸収)し、ゲートウェイもミニノートで有名なエイサーの子会社です。それと一番衝撃的だったのはIBMですね。PCブランドをレノボに譲渡するなんて、10年前では全く考えられませんでしたから。
 あとそれらPCを売るパソコンショップもいろいろ変化し、ソフマップはビックカメラグループに、九十九電機は倒産してヤマダ電機傘下になりました。
 PC関連企業ってのは浮沈が激しいのだなと実感させられます。

 今は、ミニノートでそれなりに新しいメーカーが目立っていますが、数年後には様相は全く変わっているでしょうね。

叶姉妹のアニメDVDはそれからどうなったのか

叶姉妹のアニメ

 ほんのちょっと前のことですが、こんなニュースがありました。

 ■ねとらぼ:このままでは1枚3万円 叶姉妹アニメDVD、予約受け付け延長 – ITmedia News

 これは、芸能人である叶姉妹のアニメ化するという企画から。一見変わった企画ですが、Puffyなどアニメ化されているものはすでにあるので珍しいとまでは言えません。そういえばだいぶ前にはt.A.T.u.のアニメなんてものも計画されていたようですね。中止にはなったようですが。
 ■参考:PUFFY、米国でアニメ化!全米メジャー・デビュー作も発売に – CDJournal.com ニュース
 ■参考:t.A.T.u.はあれからどうなったのか – Timesteps

 さて、この叶姉妹のアニメDVDですが、販売方法は特殊な方法がとられていました。それは「ギャザリング販売」という方式で、インターネットで予約者を募り、購入者が集まれば集まるほど価格が安くなるというものでした。最初は1枚3万ですが、1,500枚以上からどんどん安くなり、90,001 枚以上では2,625円になるという宣伝がなされました。

 しかし、上のニュースの様に売れ行きは伸びず、予約終了間際になっても200枚前後しか集まらずに、それがニュースサイトなどにとりあげられました。

結局1枚3万円

 で、予約延長も終わり、最終的にどうなったかというのは以下の通り。

 ■叶姉妹のアニメDVD予約受付が終了、価格は1枚3万円に
 ■【パーティやフィギュア特典も!】叶姉妹アニメーションDVDセット【ネットプライス】

 販売数は265枚で、価格は最高額の1枚31,500円だったとのこと。
 そして先着500名への特典されていた叶姉妹との “ABUNAIプライベートパーティー”への参加、大型フィギュアのプレゼントなど、は購入者全員がこれら全ての特典を受けられることになったとのこと。
 ちなみにこういう場合、メンツのためにギリギリまで(499枚とかまで)水増しするのはよくあることなのに、それをしなかっただけでも立派だと思います。 

プライベートショー開催

 で、ネットで検索してたら、そのプライベートパーティに行ってきた方のレポートがありました。

 ■スリット備忘録 : ABUNAIプライベートパーティー – livedoor Blog(ブログ)

 どうやら読ませてもらった限り、ファンならわりと充実したイベントのように思えます。3万でアニメDVDのみを買ったとしたら損した様に思えるかもしれませんが、アニメDVDつきのプライベートショーのチケットを買ったとすれば、ファンならそこまで損をした気にはならないような感じもします。

何故売れなかったのか

 では、何でこのアニメは売れなかったのか、というかそもそもなんで叶姉妹のアニメを出そうと思ったのか。あくまで予想ですがおそらく、ターゲットのミスではないかと。芸能人のアニメ化自体は成功する要素はあります。実際Puffyのアニメはアメリカでわりとヒットしたとの話ですし。

 ■参考:PUFFY : 米で大ブレイク中のPUFFYのアニメがついに日本で放送開始! / BARKS ニュース

 ただ、叶姉妹だと明らかにファン層がアニメの視聴層と重ならなかったのではないかと。おそらく実写の方ならもっと売れたのではと思えます(まあそのぶん制作コストもかかるでしょうが)。ただ、ある意味でこのアニメ、見たい気はします。

 ちなみにテレビアニメのDVDでも、このような方式にしたらどうかなあとか思ったりしたのですが、1000枚を切るものが多数出ている昨今、よほどのものじゃないと最高額コースでしょうね。

1990年代の有害コミック運動はそれからどうなったのか

 今、書店でマンガを買おうとすると、一般向けとは別に「成人コミック」というマークがついているものがあり、棚が隔離してある場合があります。このマークは1990年過ぎくらいからつけられ始め、1996年にある程度の形が統一されたようです。このマークについては以下に書きましたので、興味があればご覧下さい。

 ■関連:コミックの自主規制マークについて考えてみる – 空気を読まずにマンガを読む

 さて、これがつけられるようになったきっかけは、1990年代過ぎに起こった「有害コミック運動」というものから。20代後半以降の方は覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。あの運動は今では考えられないかもしれませんが、本当にちょっとでも裸の出てくるマンガはなくなるのではないかと当時まだ成年コミックを見ていなかった歳の自分でも思ったりするくらいの勢いでした。
 というわけで、その運動、及び規制に対する反対運動がどうなったのか、ということについて、書いてみようと思います。

M事件からの動き

 『有害コミック運動』の流れというのが急速になったのは、1988~1989年に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、通称M事件(犯人である宮崎努の名前から)の発生があるでしょう。

 ■東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 – Wikipedia

 ちょうどこの時期、埼玉にそんな遠くない東京に住んでいた私は、学校や家庭含め警戒態勢に入っていたのを覚えています。それほどインパクトがあり、痛ましい事件でした。
 そして、この犯人がビデオやマンガを多く所持していたことから、ここに報道がクローズアップされることとなります。正確に言えば運動が加速したのはこの事件というよりは、この事件による数々の報道と言ったほうが正しいかもしれません。ただ、その中には事実に基づかずに偏見的な先入観でなされた報道も多いと聞かれます。ただ、事件のインパクトと報道の大きさ、さらに当時オタクがかなりマイノリティーであったためにそれがこのまま受け入れられ、いわゆるオタクバッシング的な動きに繋がります。
 よくネット上で言われるのは、コミケに来たリポーターが「ここに●万人の宮崎努がいます」と言ったという話がありますが、これは真偽の程が確認できていません。ただ、そう言われるくらいマスコミなどでもオタクに対する風当たりが強くなっていたというのは事実でしょう。

 ■モラル・パニック – Wikipedia
 ■参考:ここに10万人の宮崎勤がいます 都市伝説 – 色々威

コミック規制運動始まる

 さて、自主的か、それとも報道に影響されたか、この動きはマンガにも広まってゆきます。
 犯人逮捕から1年くらいが経った1990年9月上旬、和歌山県田辺市の「コミック本から子供を守る会」という組織が、規制を求める運動を展開。ここから各地のPTAなどでコミック本規制運動の波が広まってゆきます。
 そして翌年1991年の春にかけて、それらの運動は激しい盛り上がりを見せ、出版社などには苦情が相次ぎました。そこでこれらの会社は「成年コミックマーク」の表示とその策定基準の作成などに追われることになります。
 同時に各自治体では、これらコミックの有害指定運動が盛んになります。ここで有害と指定されたものは今で言う成年コミック的なものだけではなく、大出版社(小学館、集英社、講談社など)から出されているものの対象になりました。それも少年誌から青年誌まで幅広く。ジャンプやマガジンに連載されているものまで対象となりました。また、永井豪氏、ジョージ秋山氏といった大御所まで入っていました。
 この頃の大まかな流れは、以下のページにあります(それ以前、以後の規制についても触れられています)。

 ■日本でのマンガ表現規制略史

出版社の自粛

 そして、連載作で指定されたものは、どんどんと連載が終わってゆきました。
 最初のリンク先でも書いたのですが、これら有害と指定されたものの単行本は、大出版社からは廃刊となり、裁断されてしまった例がほとんどだったようです。また、そこまでにはならなくても次の増刷分から修正を余儀なくされた作品もありました。例外的に講談社の少年向けではないものには「成年コミック」のマーク付きで発刊されました(それで救われたのが安達哲氏の名作『さくらの唄』など)。
 さらに既存のコミックの性的描写も自主規制という形でかなりなくなった感じでした。当時私はまだオタクでもないマンガを読む中学生くらいでしたが、その急激な変化に妙な違和感と「何かが起こっている」というような感覚を受けた記憶があります。
 幸い時代が変わり1990年代後半になると、そこで廃刊となったものも復刊され始めました(遊人『ANGEL』、上村純子『いけないルナ先生』、山本英夫『おカマ白書』等)。

曖昧な「有害」の基準

 しかし、これらの「有害」基準はかなり厳しいというか妙なものであり、議論となりました。例えば版画的な絵の『百八の恋』という作品は主人公の自由さを出す意味で裸にはなるのですが、欲情を目的としているとは思えません。それなのに指定を食らったりしました。さらにジョージ秋山氏の『ラブリン・モンロー』という作品は、ある戦争下の国の娼婦の物語なのですが、なんと全キャラは全部動物の擬人化描写。たしかに娼婦ものなので交尾はありますが、なんというか動物の交尾にまで指定をかけてしまったということになります。

 ■参考:有害コミック規制の波に巻き込まれた『百八の恋』と『ラブリン・モンロー』 – 空気を読まない中杜カズサ

 とにかく、もう裸が出ているとダメ、という雰囲気だったのですね。
 おそらく当時の基準からすると『To Loveる』だったらおそらく指定されていた様な気がします(実際指定された『いけないルナ先生』あたりのエロ度もそのくらいだし)。実際、桂正和氏の代表作でもある『電影少女』も有害指定を一部自治体から受け、修正して発刊することになりました。
 

パソコンソフトにも押し寄せる規制

 この一連の流れの影響は、当時まだ市場が小さかったパソコンソフトにも影響してゆきます。1991年11月、京都府警察本部はパソコンゲームソフトを製作する会社を「わいせつ文書図画頒布」容疑で捜索します。

 ■参考:沙織事件 – Wikipedia

 その後、1992年7月、宮崎県で全国初のパソコンゲームソフトの有害指定を受けますが、その中にはガイナックスの発売した『電脳学園』も指定され、後に取り消しの行政訴訟へと発展します。

 ■電脳学園 – Wikipedia

 これらの流れが、後のコンピュータソフトウェア倫理機構の設立へと繋がってゆきます。

規制反対運動

 しかし、尚も運動は激化し、まるでそのままお上推薦のもの以外のマンガはなくなる勢いにまで発展するところでした。大げさではなく。まだ子供と言える年齢だった自分でそう感じたのですから、リアルタイムでこれを見ていた人は本気でそう思っていたかもしれません。

 しかし、そんな激しい規制運動の動きの中、各地の弁護士会、出版労連、そして日本ペンクラブなど作家の団体は、これらの規制運動に各立場から疑問を呈し、反対の声が上がり始めます。その動きの一つが、1991年結成された「『有害』コミック問題を考える会」。ここでは条例強化反対を掲げ、集会が行われ、多数のマンガ関係者が参加したとのこと。

『コミック表現の自由を守る会』結成

 さらに1992年3月、マンガ家や作家、書店主など出版に関係する人達を中心として「コミック表現の自由を守る会」が旗揚げされます。発起人は石ノ森章太郎、さいとう・たかを、ちばてつやといったコミック会大御所の面々。
 ちなみにこのあたりで、発起人のひとりである山本直樹氏の「Blue」が都条例で「不健全」指定され、廃刊になります。これは性描写やドラッグを含むものの青春群像的なもので、この作品が有害論争のひとつの中心となります。
 そして、雑誌やメディアなどでは、これらの有害問題や法規制についての議論が巻き起こります。

その後、規制運動はやや下火に

 しかし1990年の半ばにさしかかると、さすがに時間が経ってやや冷静な議論や思考が行われる様になったのと、「成年コミック」マークが機能して、ゾーニングが出来る様になったためか、それまでの激しい規制の波はだんだんと影を潜めてゆくようになり、マンガ雑誌にも次第とそれらしき描写が復活してゆきます。

 「『有害』コミック問題を考える会」は「マンガ防衛同盟」と改称後、2001年には「発展的解消」を遂げており、その活動は「NGO-AMI」へと継承されているとのこと。

 ■有害コミック騒動 – Wikipedia

 そして『コミック表現の自由を守る会』についてもおそらく活動は無い模様。代表の石ノ森氏も1998年に亡くなりました。

これらが遺したものは何だったのか

 さて、これらは何だったのか、というのは様々な考え方があるでしょう。ただ、ゾーニングを残したのはプラスだったかもしれませんが、多くの負の遺産も遺してしまったかもしれません。こういった成年的な描写に対して、個人的には子供に見せるのには困るものもあるのでゾーニングはやむを得ない思う面もあるのですが、そのゾーニングなど基準というものの信用性をあの過激な運動で表現側が全く信じられなくしてしまったのは大きいのではないかと。なんというかゾーニングを盾にして大人が見る表現媒体全体を規制する動きに繋がるのではないかという感じで。

 現在でもコミックなど規制の動きが出てくると非常にピリピリするのは、あの時の過剰な悪夢が記憶に蘇る人も多いのではないかと。最近児童ポルノ法改正の議論が交わされますが、これに反対意見が多いのは実際に被害を受けている人を軽視しているのではなく、一度でも認めてしまうと段階的にこの時の激しい規制がそのまま、いやそれ以上に行われるのではないかと思っている人が多いのではないかとも思えます(つか、この問題も非常に複雑なので、表現の自由だけでは語れない側面も多いのですが長くなるのでそれはまたの機会に)。実際、その当時の規制推進派が現在政治家として有力な地位にいる例は多いとのことなので(これは党を問わずに)。

 ちなみに今回調べてみたら、以下の様なエントリーもありました。本当かどうかは詳しく調べていないのでわかりませんが。

 ■90-91年の「有害コミック」撲滅運動と、宗教右翼 – カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記
 ■「有害コミック」撲滅運動の歴史と背景/田辺市/痛みを想像するとい – kitanoのアレ

時代により基準は変わる

 ちなみにこの1990年あたりの有害コミック騒動の前も、1970年代にはジョージ秋山の『アシュラ』『銭ゲバ』、それに永井豪の『ハレンチ学園』などが批判を受け、追放運動まで起こりました。しかし現在、『銭ゲバ』はドラマ化され、永井豪氏は記念館が設立されるようです。

 ■中日新聞:永井豪記念館へGO! ハニーもデビルマンもいるZ:石川(CHUNICHI Web)

 また、1980年代にはマンガの神様と言われた手塚治虫が、『ジャングル大帝』などの黒人描写で批判を受けたのも有名です。そして前述の様に、当時有害コミック指定を喰らったものでも、現在では名作と言われているものもわりとあります。

 このように時代によって基準は変わるものです。故に全てを一元に規制する「表現規制」はその社会状況と照らしあわせて十分双方の議論を重ね、慎重を期さなければならないでしょう。

 ■参考:有害コミック/ 同人用語の基礎知識/ ポルノコミック
 ■参考:阿部定事件無限回廊 endless loopさん)
 ※下の方の「『愛のコリーダ』摘発事件」。ここで東京地裁は「わいせつの基準は社会通念の変遷によって変わる」とした。

 今、あの1990年代あたりに小中学生だった人は、今は20代後半から30代になっています。その時のことをどう思っているでしょうか。
 また、現在規制が行われたとして、そのことは数十年後、どのように受け取られているでしょうか。


〓参考文献〓
 ・『誌外戦 コミック規制をめぐるバトルトイヤル』コミック表現の自由を守る会(創出版)
 ・『有害コミック問題を考える』(創出版)

ジオシティーズ全盛時代の思い出を語る

 アメリカYahoo!のジオシティーズが今年中に閉鎖となるようです。

 ■米ヤフー、GeoCitiesを年内に終了へ–個人ホームページ時代の終焉とともに:ニュース – CNET Japan

 ネット歴が5年以内の人にはご存じのない方も多いでしょうが、このジオシティーズというのはインターネットのホームページスペース提供サービスで、現在はYahoo!の一部となっていますが、もともとはGeoCities社が運営していたもので、1990年代後半のインターネット黎明期~発展期には、ここがホームページスペースの主流であり、有名な存在でした。ちなみに他にもTripodとかtoktokなんてのもありましたね。

 ■GeoCities – Wikipedia
 ■Tripod – Wikipedia

 せっかくなので、オッサンホイホイになるのを承知で当時の思い出とかいろいろ書いてみようと思います。

日本インターネット黎明期の代表的HPサービス

 1996~7年あたりから徐々にインターネットが日本でも普及し始め、次第にインターネットに慣れたユーザーが増えてゆき、そんな人の中に「自分のホームページを作りたい」という需要が生まれ始めます。当時からTripod、toktokなどのサービスはありましたが、一番主流だったのがこのジオシティー。それの理由は、「無料」であったことと、「始めるのが簡単」だったことなのですよね。

 当時のインターネットサービスはたいていが有料で、プロバイダ代も月2000円くらいが普通、しかもテレホーダイじゃなければ従量制、それなのに速度はISDNでも64Kbpsという時代でした。つまりお金がかかるのが当たり前だったのですよね。また、プロバイダでもホームページスペースを用意しているところはありましたが、そこも追加料金がかかる場合が多かったです。そこで無料のサービスというのは、当時は新鮮でもあり、また魅力的だったのでうよね。

 さらに、ほかのサービスではFTPでのアップロードなど、初期からそれなりの知識が必要でしたが、ジオシティーにはウイザードがあり、今のブログと同じく簡単なものならすぐに構築できた点も大きかったと思います。

 ちなみに当時のホームページは、CSSでさえほとんどなく、HTMLベタうちでテーブルを駆使して構築しているサイトが多かった様に思えます(フレームでさえ嫌っている人がわりといた)。でも、それ故に自分でデザインを構築する必要があって、それが味になっていました。もちろんいいものもあれば、個性が溢れまくっているものも。そんな時代の名物のひとつが伝説の愛生会病院かもしれません。

 ■愛生会病院(たぶんブラウザに負担をかけます)

 私もはじめてHPを構築した時はジオシティーズでしたね。しかしゲームやマンガ系の趣味カテゴリのサーバは空いているスペースが少なく、キリのいい番号が空くのを狙って取りにいったものです。ちなみにそのサイトはゲーム系でしたが、今探しても無駄です。というのは、当時のジオシティーズでは、「2~3ヶ月更新がないと消滅する」という掟があったので。HDDの容量も少ない時代でしたからね。たぶん借りられるスペースの大きさは20Mくらいだったと思います。

「和塩」「米塩」

 さて、こういったHPは趣味にも使われましたが、一部ではアングラにでも使われていたようです。で、最初の海外のジオが「米塩」、日本のが「和塩」なんて呼ばれていましたね。あと、「鳥」(Tripodのこと)とか「地球病」なんて言葉もありましたっけ。

■参考:地球病 – 通信用語の基礎知識

 でも、当時アングラ扱いされていた告発系サイトの情報が簡単にブログに書かれていたり、MADがニコニコ動画で見られたりすると、時代が変わったなあとオッサンは思うわけで。

ジオシティーズ騒動

 あと、ジオシティーズ騒動なんてのもありました。これはいきなりジオシティーの規約が変わり、「アップロードした時点でコンテンツに関するモロモロな権利を無条件にYahooに認めるだけでなく、著作人格権をも行使してはいけない」と読み取れる条項が足された件です。ある意味それ以後もネット上で弾に起きる、いきなり規約改定をして騒動になるパターンの先駆けのように思えます。

 ■ジオシティーズが新規約で利用者のコンテンツを横取り – スラッシュドット・ジャパン

ジオシティーズの衰退とブログサービスの台頭

 そんなジオシティーズですが、2000年代に入るとほかの無料サービスも増え、さらに容量もジオより大きくなってきました。そして慣れた人はプロバイダのサーバに移るなどの傾向も見られるようになりました。決めてとなったのが、2000年代前半にブログが台頭してきたこと。これにより、初心者の導入口がそちらになってしまい、またその利便性からブログに移転するサイトも増え始め、ホームページスペースの需要自体が縮小してゆきます。
 そして今に至ります。Yahoo!でもYahoo!ブログのほうがクローズアップされて、現在ジオの場所を探すのにちょっと手間どりました。しかし日本のジオはまだあります。

 ■Yahoo!ジオシティーズ – 容量50MBのホームページスペース。日記やゲストブック、アバターなどの機能。

 ただ、もしかしたら日本のジオシティーもそのうち役目を終えて消滅するのかもしれません。ただ、それはどのWebサービスにも言えることでしょう。むしろポータルとして10年生きのこっているYahooとかのほうが希な存在なわけで。
 でも、ジオもたとえ消えても一時代を築いたものとして、記憶には留めておきたいなと思うわけです。

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