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2009-04
『ぷよぷよ』のコンパイルはそれからどうなったのか
- 2009-04-26 (日)
- ニュースのそれから

多忙だったため、更新のほう停止してしまってすみません。まだなんか忙しい感じですが、出来る限りは更新したいと思います。
以前、ゲームミュージックなブログのほうでこんなのを書きました。
で、ここで重要なのに書き忘れていた会社が一社ほどありました。で、せっかくですので、ここで書いてみようと思います。その会社は、人気落ちものパズルゲーム「ぷよぷよ」を生み出した「コンパイル」。
パソコンゲームソフト会社の老舗企業であったコンパイル
コンパイルが設立されたのは1982年。まだパソコンもテレビゲームも一般家庭に浸透していなかった時代です。社名はプログラム用語のコンパイルより。
■コンパイルとは 【compile】 – 意味・解説 : IT用語辞典
当初はコンパイルもゲーム以外のソフト開発中心だったようですが、そのうちにゲーム開発の乗り出します。
主にリリースの対象としたのは、MSX。ここでコンパイルは『ザナック』『アレスタ』といったシューティングゲームを発表し、人気を集めます。また、ディスクマガジンというミニゲームなどが収録された雑誌タイプのディスク『ディスクステーション』を販売していました。これは当初はMSX2用でしたが、後にMSXの普及が停滞、代わりにNECのPC-98が普及してくると、そちらでも出されるようになります。
まだ家庭にパソコンが普及していない時代、このようなゲームディスクも少なかったため、PCゲームユーザーの間ではわりと有名な存在となりました。
■参考:コンパイル・ディスクステーションの歴史(1996~2000年)を振りかえる
さて、このディスクステーション内には、ダンジョン探索RPGとして『魔導物語』というゲームが収録されていました。そしてこのゲームの主人公は「アルル」という女の子でした。
『ぷよぷよ』誕生
さて1990年あたりでは、ひとつのゲームが大ブームを起こしていました。それは『テトリス』。有名すぎて語るまでもない落ちものゲームの金字塔です。ここより「落ちものパズル」というゲームジャンルが生まれ、セガの『コラムス』などが生まれます。
さて、その『魔導物語』に登場したキャラクターを利用して、コンパイルも一つの落ちものパズルを開発します。それが『ぷよぷよ』。
初出は1991年10月25日に発売されたMSX2版とファミコン ディスクシステム版。ちなみに当時でもすでにディスクシステムはすでに過去のハードとなっていたことを付け加えておきます。ただ、この時点ではハードがハードなこともあって、あまり大きな話題にはなりませんでした。
しかし、その後セガが販売元となりアーケードゲームとして出されると、これが大ヒットとなります。
人気が出た要素としては、落ちものパズルとしてのシステムとして単純だけど奥が深かったこと、それまではひとりで延々と限界に調整するのが主流だった落ちものパズルに「対戦」の要素を組み込んだこと、それとキャラクターのかわいさで多くの客層(当時のアーケードゲームとしては珍しい女性も)をとりこんだことなどがあるでしょう。
そして『ぷよぷよ』はメガドライブをはじめ、スーパーファミコン、携帯機とさまざまなゲームに移植され、どのハードでもテトリスと並ぶパズルゲームの定番ソフトとして好調なセールスをマークしました。さらに続編である『ぷよぷよ通』が発売されるとさらにその人気は盛り上がります。
奇抜な活動をする会社
さて、この頃からコンパイルは他のゲーム会社にはない、目立つ活動をし始めます。まず、『ぷよぷよ』の大会イベントを頻繁に行います。ゲームショウなどでもコンパイルが出店したブースはそのゲーム大会が毎回行われていました。ちなみにそこではユーザーからボランティアサポーターを募集していました。
■コンパイルサポートアソシエーション – Wikipedia
つか、今思うとよく問題なく機能していたなあと思います。運良くファンの意識が高くて、目立った悪意が入り込まなかったからでしょうか(もしくはこの中にイベントのプロも参加していたか)。
ちなみにこのイベントではぷよぷよ関連グッズが売られていたのですが、そのうちもみじまんじゅうをぷよの形にした『ぷよまん』は人気を博していました(実際普通にうまかった)。
新入社員の大量採用と丁稚制度
その中でも特徴的だったのが同社の人事制度。新入社員を「丁稚」としてピンクのジャージを着せて働かせていました(この模様はゲーム雑誌などでもよく見られました)。しかも教育方針も一年間は雑務のみ、雑務の合間に先達から技術を盗み研鑽すべしといった徒弟制度だった模様。ただ、あとにこの会社に所属していた有名クリエイターがが多く出ていることからその制度は即戦力を無駄にしてしまったとも言えます。
さらにこの採用人数が大手ゲーム企業より多いくらいで、この規模の会社としては異例でした。そしてこの大量採用が、後の経営難に繋がります。
経営難、そして倒産
1990年代後半、『ぷよぷSUN』などシリーズは安定して人気を博してはいたものの、さすがに陰りが見え始めました。そして他のソフトでも続くものはなかなか出ず、前述のイベント費や人件費がかさみ始めます。
そこでビジネスソフト方面に再度進出し、グループウェア『パワーアクティ』を開発し、川島なお美などをCMで起用しますが、開発費、広報費のわりに売り上げは立ちませんでした。
そしてとうとう1998年3月18日に広島地方裁判所への和議を申請、和議は受理されます。
■コンパイルが広島地裁に和議申請、今後はイベントを縮小しゲーム制作を柱に
この際新卒の採用予定者だった人は内定取り消しとなってしまいました。さらに内部の社員もこの倒産以降、どんどん抜けて他社へ移ってゆきます。
倒産の原因はほかにも言われていますが、そのへんはソースがないので、参考程度に。
破産、そしてアイキへ
さて、そのコンパイルは経営が破綻後、本社を広島の郊外、そして埼玉県に移転します。しかし2003年1月に会社を解散、同年11月6日には東京地方裁判所より破産が宣告されたとのこと。
しかし同時期に「アイキ」という会社が設立され、コンパイルの社長もここに合流し、事実上の存続会社になったということです。
ただし現在はそのアイキも現在ではHPが消滅し、活動を停止しているようです。ここから出ていたものも、他の会社に権利が移っています。
■の~みそコネコネ Compile Station|コンパイル ステーション
『ぷよぷよ』の版権はセガに
さて、『ぷよぷよ』ですが、和議に際してシリーズの商標権等が他社に売却されましたが、その際アーケード版の販売元であるセガに渡っていたようです。ちなみに前述の通り『ぷよぷよ』は『魔導物語』のキャラから出ていますが、その他の残りの魔導キャラはアイキに受け継がれていて、それは他者に譲渡されたということです。
そして現在でも『ぷよぷよ』は親しまれ、多くのハードで出ています。携帯を購入したときにディフォルトアプリなんかにもなっていたりしますね。
そして最新作の『ぷよぷよ7』はセガから7月に出るようです。
■セガ、「ぷよぷよ」シリーズ最新作発売決定、DS/Wii/PSP「ぷよぷよ7」 -GAME
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コンパイルの残したもの
しかし、いろいろな意味でゲーム業界の歴史に残る会社だったと思います。『アレスタ』『ザナック』『ディスクステーション』で見せた様に、よいゲームを作る底力はあったと思われる会社なので、無くなったのは惜しまれます。
ただ、その会社はなくなっても、前述のゲームの他にいろいろなものをコンパイルは残したと思われます。特にここからゲーム業界に入った人材は、かなりの数の人が現在でも活躍しています。
しかしゲーム業界にはこういったベンチャー性ってのがなくなりましたね。それは安定したと考えられるのでいいとは思いますが、こういった会社がまた出てきてもおもしろいのではないかと思うのです。ただし経営はしっかりさせて、社員が安心して仕事を出来る体制があるという前提で。
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伝説のテキストサイト『ひきとけとからあるまにまに』はそれからどうなったか
- 2009-04-01 (水)
- 4月1日

※この文書はエイプリルフール用だったものです。当然嘘ですので。
サイトやブログには、その管理人がゲームやアニメ、マンガなどにおいて、好きになった作品もしくはそのジャンルについて書きたいと思ったことから開設した、いわゆるファンサイト系のものが数多くあります。これは日本のインターネットの初期からあった傾向で、特に2000年代前後はLeafやKey作品のファンサイトが増えていました。また、現在でも続くニュースサイトやブログ(特に現在のアキバ系と呼ばれる方面)の中にも、一番最初は何かのファンサイトだったというところも数多くあります。
■参考:Leaf・Keyのゲームがインターネット上で盛り上がりを見せた奇跡的な時代 – 空気を読まない中杜カズサ
しかし、その原動力となったのは、何もLeaf・Keyの作品だけではありません。この10年間におけるいろいろなゲームが、数々のサイトの設立のきっかけとなってきた面はあるでしょう。その中で、おそらくは多くのサイトの設立の原動力となり、その影響はLeaf・Key作品にも勝るとも劣らないと思われるにもかかわらず、一般の人にはあまり知られていないゲームがあります。その名前は『アミヌフ・タクト』。
このゲームについては以下で書きましたので、そちらをご参照下さい。
■幻のソフト『アミヌフ・タクト』が遺したもの
で、ここではその『アミヌフ・タクト』の影響を強く受け設立されたと思われる伝説のサイト『ひきとけとからあるまにまに』について書いてみようと思います。
ファンサイトからテキストサイトになった『ひきとけとからあるまにまに』
『ひきとけとからあるまにまに』は、ニュースサイト&テキストサイト全盛時に生まれたサイトです。そして文章と同様に本人が書いていたのかイラストも併載されるおもしろいページだったように記憶しています。ちなみに『ひきとけとからあるまにまに』は『アミヌフ・タクト』に出てくるヒロインの名前と言われています。
で、そこの管理人(たしかasuzakという名前だったような)は本人は相当なファンだったのか『アミヌフ・タクト』のファンサイト風のものから始まったはずです。そしてその100週目、200週目と回を重ねるプレイ日記を中心に、その作品の分析、イラストなどが主だったと思います。当時見られたエロゲ論断的な文章もけっこうあったと思われます。
で、そのうち『アミヌフ・タクト』の話題がいろいろな事件?もあって縮小してくると、ほかのいくつものサイトにあったようにニュースサイト&テキストサイト化していったと思われます。しかしこのサイトにおいてはそれが功を奏したのか、一躍人気サイトに躍り出ます。自分の中の記憶では、当時としては珍しい1日万単位のアクセスを集めていたように思えます。
一番盛り上がったのは、「かっぱえびせんを合法ドラッグより常習性を持たせることで駆逐しよう」という、お菓子の料理企画でしたかね。しかしあれはかなり無茶をしていたような。何せ……いや、さすがに洒落にならないかもしれないのでやめておきましょう。あと、「あらゆる場面で『ドリフの盆回り』を流してギャグにしてしてしまおう」という企画は、本人が勤めている会社のクビを回避したという伝説が残っているそうです。
その人気は一時期は『侍魂』や『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』のReadme!一位を破るのはこのサイトではないか、とまで噂されていたように思います。
突如更新を停止した『ひきとけとからあるまにまに』
さて、さっきから「思われます」と言う曖昧な表現を多用しているので、不思議に思われた方も多いかもしれません。実はこれには理由があります。さらにネット歴が短い人には『ひきとけとからあるまにまに』の知名度が低いこととも。
まず、とある事件?によって、設立動機となった『アミヌフ・タクト』が配布中止となり、そしてその話題もいろいろあってネット上から消えてゆきます。そして多くのサイトはそのコンテンツを扱うのをやめてニュースサイト、テキストサイトに移行していきました。しかし『ひきとけとからあるまにまに』は珍しく、その話題を扱うのをやめませんでした。
しかしある時、その管理人は「俺は真実を得た! ミーハイトス、アギラヌエに向かう!」というメッセージと共に、更新停止。その後、コメント欄に「彼は失踪しました」とか「いや、実はそれは嘘で実は……」「いやいや、そのコメントブラフは実は嘘で実際は……」というのが繰り返し書かれ、有耶無耶になります。そのうちサイトが消滅してしまいました。
一応、そのサイトの残骸を乗せておきますが、当然見られません。
■参考:ひきとけとからあるまにまに
その謎の疾走、もとい失踪っぷりは『終る世界』のzedoc氏に匹敵するともいわれました。
何故、『ひきとけとからあるまにまに』は消えたのか
しかし、何故いきなり『ひきとけとからあるまにまに』は更新を停止し、失踪したのでしょうか。その理由は今でも判明していません。しかし理由としては以下のようなものが噂されています。
(1)自作自演説(失踪も嘘)
(2)『ひきとけとからあるまにまに』が『アミヌフ・タクト』消滅の真実に近づいたために消された
(3)『ひきとけとからあるまにまに』は『アミヌフ・タクト』の開発陣の1人がやっている自作自演サイトだったが、退社のためにこういうオチに
(4)MMRに強く影響を受けて、独自の聖地ミーハイトスとアギラヌエを頭の中に作り出してそこを目指した
(5)宇宙人に連れ去られた
(6)もうネタがない
などなど。
ただ、このことを語る人もいません。それは『アミヌ・フタクト』の制作元、ソフトオットセイも謎の消滅をしてしまったこと、それから昔『アミヌ・フタクト』を扱っていたサイトの多くが閉鎖し、関連してそのことを書いていたサイトもログを消してしまい、あまり語らないことがあります。元ゲームが不可解なことになったので、それのせいもあるでしょう。
今では完全にgoogleからも消えてしまっていますが、それが自然なものなのか、それとも何者かの手によるものなのかは不明です。
今でも『ひきとけとからあるまにまに』の後継が存在する?
ただ、ある情報によると、どうも有力なのはどこかのブログで書いているというものです。しかも複数のブログを細々と運営し、それはゲーム系からはてな、歴史ジャンルにも及んでいるという話。ただ、真相は不明です。
しかし、サイトというものはこのように一瞬目立ったと思っても、時間が経つと多くの人にとっては忘れ去られ、ごく一部の人が昔を思い出す時にたまに浮かび出てくるくらいなのですよね。その意味で一期一会の世界なのかもしれません。
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