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2008-12

ジンバブエのハイパーインフレはそれから収まったのか

 水曜は休んですみませんでした。クリスマスイブで出かけていた……のではなく、何故かWordPressで文章の保存は出来るのに公開が出来なかったので。バージョン上げたら何故か直りました。
 さて、この一週間、過去にここで扱ったニュースの続報が次々に入ってきました。まずはこれ。

銀河鉄道999裁判判決、原告の槇原敬之側部分的勝訴

 ■槇原敬之へ松本零士から賠償金220万円の判決下る:芸能:スポーツ報知
 ■参考:銀河鉄道999裁判(槇原敬之盗作騒動)はそれからどうなったのか – Timesteps

 例の盗用裁判が決着し、「盗用とまでは言えない」と槇原氏側の勝訴。これを書いた当時だと、和解手続きって書いてあったのですが、判決になってますね。経緯は不明ですが、前回の和解がガセだったのか、それともやっぱりどちらかが和解合意しなかったのか、それともこれが和解の末の結果なのか。

ジンバブエのインフレは収まったのか

 さて、もうひとつは、このブログの検索語で相変わらず1位になっている「ジンバブエ」の話題。

 ■参考:ジンバブエのハイパーインフレに変化の兆し? – Timesteps

 前に今まで高みを目指してインフレ一直線だったグラフが、失速して下りに転じたことを書きました。さて、それからこちらのインフレはどうなっているのか。
 まず、前にも参照したところから。

 ■OMIR

 年間インフレ率は-2.78 sextillion%、すなわち27垓%。前のエントリーで897垓%とかいう数字が出てしまったのでなんか収束したように思えますけど、思い直せば正常な値ではないですよね。垓という数字が経済で使われるのは。つまりちょっと前のものすごくひどいから、すごくひどいに変化したというくらい。

5億ドル札発行の1週間後に100億ドル札

 そして12月12日のニュース。
 ■時事ドットコム:超インフレのジンバブエ、5億ドル札を導入=価値は900円ほど

 価値は10米ドル(約900円)程度ということ。

 ジンバブエでは7月、インフレ率が2億3100万%と推計されたが、現在はもっと高いとみられている。今月4日に1億ドル札(写真)が導入され、当初は14米ドル(約1250円)相当の価値があったが、約1週間後の今では50セント(約45円)以下の値打ちしかない。
 現金不足のため国内の銀行では1週間に1度しか現金を引き出せない上、引き出し限度額も設けられている。銀行での行列は日常風景となり、人々は何時間もかけて現金を引き出すものの、それでも1日の必要額には足りない。翌日の引き出しのため、銀行前で野宿する人々もいる。

 しかし、これをさらに驚く出来事が。それはほんの一週間後。

 ■CNN.co.jp:「100億ドル」紙幣を発行 経済崩壊、コレラ禍のジンバブエ

 つまり一週間で5億ドル紙幣から一気に100億ドル紙幣の発行に至ってしまったわけですな。ちなみに一週間前には5億ジンバブエドルで10米ドル(約900円)程度の価値だったのに、この時点では100億ドルで20米ドル(約1800円)相当の価値とされています。つまり通貨価値が1週間で1/10になっていると。

病気や食糧不足が深刻

 ただ、こちらの国はこの経済状況だけでも十分ショックなのに、上のニュースだとコレラが流行しているということ。国連によれば今年8月からのコレラ死者が1000人を超えているそうです。さらに食糧難も深刻に。一刻も早い対策が望まれます。

 ■参考:栄養失調の子供激増、食糧支援必要と ジンバブエ情勢でNGO(CNN.co.jp) – Yahoo!ニュース

 しかし、当のムカベ大統領は……

 ■CNN.co.jp:ジンバブエ大統領、「米国と西欧は能なしのバカ」と発言

 ……おまえが言うな。

今日は休みます

 12月24日は「クリスマスイブなのでブログの更新を休んで、リアルが忙しく充実しているように見せかける日」なので休ませていただきます。
 嘘。ごめん、本当はちょっとブラウザの調子がおかしくて、書いたのに何度も落ちてしまうので書けません。ただいま復旧中です。

 ……という文章を24日に書いてから、なぜか全然投稿できませんでした。で、WorePressのバージョンを上げて復旧中。で、このエントリーが投稿できていれば復旧成功です。

 日曜分は今から書きます。

関川村の村八分騒動はその後どうなったのか

 私は東京西部の出身で、学校、それに一人暮らしをしている時もわりとこの近くだったので、田舎での生活がどういうものか知りません。ただ、地方を旅している時に思ったことは、山手線区内の主要駅付近でもない限り、東京と地方の住宅地には大差はないんじゃないかなということ(せいぜい遠くに山が見えるかどうかってくらい。まあ東京西部も天気のいい日は秩父の山が見えたりしますが)。せいぜい電車の本数が東京では多いくらいで、町の見た目は同じベッドタウンだなあと。
 ただ、そういった観光地ではないところからもっと奧で生活していた人にそこで様子を聞いたら「ほとんど『ひぐらしのなく頃に』の世界だったよ」と言われました。まあこれが冗談半分だとしても、それなりに昔の風習が残る地域というのはやはりあるようです。
 で、今日の話題は、それを認識した数年前の事件より。

新潟県関川村で起きた現代の村八分

 新潟県の関川村にある集落。そこには36戸がありましたが、この集落はあることについて2分され、裁判にまで発展しています。その原因が村八分。
 報道によると、この集落ではお盆にイワナのつかみ取り大会が行われていましたが、2004年春、「準備と後片づけでお盆をゆっくり過ごせない」と村民の一部が不参加を申し出たとのこと。また不参加を決めた住民達の理由にはもう一つ、「被告の1人がイワナ購入にあたって村の補助金を水増し請求している」と思っていたからというのもあります。つまり必要なイワナを寄付によって取得したにもかかわらず購入したように見せかけ、村から補助金を詐取したということです。つまり立場を利用して利益を得ていたという疑い。
 そしてこの姿勢に集落の有力者は「従わなければ村八分にする」と、その不参加を申し出た11戸に対し、ゴミ収集箱の使用や山での山菜採りなどを禁じたとのこと。
 それに対して村八分にされた側の住人が、有力者3名を相手取り新潟地裁新発田支部に提訴します。それに対して、有力者側も名誉を傷つけられたとして反訴しました。

 ■参考:痛いニュース(ノ∀`):「自分も村八分になるかも…」 有力者の“村八分ルール”で分断続く村、夏祭りにも影…新潟
 ■参考:Matimulog: news:現代村八分
 ■参考:「村八分」訴訟で分断続く新潟の関川村 夏祭りにも影 – ■まち歩き人の気まま日記
 ■参考:関川村沼の村八分訴訟 – NEWS GARAGE【KABA式会社OBAKA通信】

地裁、高裁とも村八分の存在を認定

 地裁での判決は、村八分の存在を認めて有力者側に行為の禁止と計220万円の賠償を命じました。しかし、有力者側は「村八分行為はしていない」と東京高裁に控訴します。
 しかしこの頃になると有力者側についた区長が辞任し、集落は区長不在の状態になっていたとのこと。しかし原告住民らは有力者側とのトラブルを避けるため、それまでとは別に新しく作られたゴミ収集箱を使い、旧ゴミ収集箱の使用や山菜採りの入山を自粛していたそうです。
 その後東京高裁での判決が2007年10月になされ、一審判決を全面支持。すなわち住民側の勝訴となります。その後調べた限りでは上告はされていない模様。

 ■「“村八分”は違法」 東京高裁1審の原告勝訴を支持 – MSN産経ニュース
 ■参考:白鑞金’s 湖庵: 新潟県関川村「村八分」騒動

 ただ、『被告男性は「高裁でどのような結果になっても、頭を下げることはない」と話している。 』らしく、今でも謝罪はなされていないのでしょうかね……

 ついでにこんなのも

18日の朝日新聞社会欄によると、元区長らの1人が「上告するかどうかは未定。ただ、ゴミ収集箱の使用禁止などは総会で決めたことなので、賠償金は集落全戸で負担すべきだと考えている」と語っている。事実、一審の裁判費用200万円は集落の積立金から払った。積立金はもう底をついているという。

……ええと、被告は有力者の3人でしたよね?

 ■参考:村八分で関川村元区長らに賠償命令 – NPO日記

裁判は終わったけど……

 なんというか、外部から見ても嫌な事件ですね。もし、裁判が終わってから仲直りしていればよいのですが、なんだか上記の態度を見る限り、有力者が同じだと大差ないような気が。
 本当はこの後をさらに知りたい方も多いと思われますが、さすがにブログだとこれ以上突っ込めないですね(報道でも難しいかも)……

他の地域でもあった現代の村八分

 さて、村生活の経験がない私から見ると、いくら何でも現代では特殊例だろ……と思っていたのですが、調べてみると同様の村八分による裁判が行われていたようです。それは兵庫県の佐用郡佐用町にある水根というところにおいて。このきっかけや経緯については以下に書いてあります。

 ■水根部落「村八分」人権侵害事件裁判(村八分を受けたとされる側の人のHP)
 ■jihou10625

 とりあえず現在でも人は住んでいる模様。

 ■参考:佐用町公式ホームページ 各課の紹介:商工観光課

村八分が起きるような村なら……

 何も地域での争いというのは大なり小なりあちこちで起きていると思います。そして当事者間の係争はさまざまなケースがあるので、一概にどちらが悪いとは言えない場合もあります。ただ、権力を盾にとって行政サービスや交流を阻害する行為は判決がそうであるように現代日本で認めるわけにはいかないでしょう。

 今、過疎による高齢化が叫ばれていますが、(全部とは言いませんが)一部の集落ではこういったものが嫌で集落を出て行く人も多いのでしょうね。しかし状況的に出て行けない人もいるのでしょう。それこそ中島みゆきの『ファイト!』にもありましたが、出て行くならお前の家族も住めんようにしちゃる言われて、東京行きの切符を捨てるような感じ。もちろん集落では共同意識が必要な点があるのはわかりますが、それを村八分に繋げていいものか。
 村八分のように人を傷つける悪習が残るようだったら、そこから人が出て行き、内部から崩壊するのも自然な時代の流れではないかと思うのは、そういったところに住む人からすれば、町の人の言い分でしかないのでしょうか……

 ちなみに私はそういうところで生まれ育ったせいかもしれませんが、東京郊外の交流がないではないけど、あまり濃くない近所づきあい程度が一番性に合っています。

@nifty Timelineにてこのページで扱ったのものの年表制作中

 今日はネタの調査がまだ荒いので文章はお休みで別件。

 このページでは上のほうに「index」というページを作り、それまでに扱ったものをリスト化しようとしています。
 でも、ちょっと見にくいのでなんとか図式化、できれば年表みたいにできないかなあと思っていたのですが、これは向いているんじゃないかなというものを見つけました。それは@niftyがサービスを行っている「@nifty Timeline」というサービス

 ■@nifty TimeLine

 で、自分が今作っているページがここ。

 ■Timestepsのindex – @nifty TimeLine

 つまり、indexで書いたものをそのままこっちに入力してゆけば、インターネットの歴史年表みたいなものができてくるというわけ。
 まだ作成途中ですが、随時埋めてゆきます。ご意見やご要望があればコメントに。参考とさせていただきます

 ゆくゆくは制作したいと思っているインターネットの歴史Wikiと連動させたいなあ。

2000年前後、Leaf・Keyのゲームがインターネットに及ぼした影響

 今日のは前に『空気を読まない中杜カズサ』で書いたのと被るところがあるのですが、こちらでまとめ直しという感じで。

2000年前後のインターネットとエロゲー

 西暦2000年前後のインターネット、一応普及し初めてはいましたが、まだまだ発展途上だった時代。この前紹介したテキストサイトの「終る世界」「ちゆ12歳」なども、このあたりで誕生しました。
 さて、このあたりでは、インターネットにおいてあるものがよく持ち出されていました。それはエロゲー。とりわけLeaf、そしてKeyというブランドのゲーム。
 1996年以降、それまでPC-98が主流であったエロゲーはWindows95の発売、そして普及によりだんだんと各種メーカーで共通のDOS/V機へと移行してきました(そういえばPC-AT互換機って言葉も滅多に聞かなくなったなあ……)。そしてその時代、PC-98の末期「ビジュアルノベル」という「かまいたちの夜」と同じようなテキスト形式のゲーム『雫』をリリースし(1996年1月26日発売)、その独特のストーリーと演出、音楽などで注目を浴びていたLeafというブランドがありました。そのビジュアルのベルシリーズの続編『痕』(1996年7月26日発売)も、同じくストーリーや演出、そして音楽のすばらしさから注目を浴びます。そして1997年5月23日に出た『To Heart』で人気が爆発します。
 当時は、ちょうどWindows95がバージョンアップでインターネットへの対応をし始め、インターネットが普及し始めた時代でした。そして自分の趣味を語るための場としてインターネットが使われ始めましたが、その折それらのエロゲーについて語りたい人が増え、よくネットで話題となっていました。

 そしてもう少し経った頃、1998年5月29日にタクティクスから発売された「ONE 輝く季節へ」というゲームが発売されました。それはエロゲーにはそれまで少なかった不思議なストーリーと「泣かせる」要素において、一気に話題となります。そしてそのスタッフが移籍して設立したブランドKeyから1999年6月4日『Kanon』が発売され、これも非常に話題となります。

インターネット上で盛り上がったエロゲー文化

 当時はメーカーにも掲示板があり、そこで各種交流が交わされていたのですが、ユーザーの中には、自分でホームページを立ち上げて、それらのファンサイトを作る人も増えました。そのコンテンツは、自作のイラストだったり、その作品の分析論だったり、キャラクターのファンサイトだったり。昔からやっているサイトさんの過去コンテンツを見ると、それ系のレビューサイトやSS、イラストサイトだったというページがそれなりにあったりします。
 
 それ以外にも、「○○(キャラ名)同盟」とか、ゲームのキャラクター毎のファンサイトが作られ、そこに参加して会員番号をもらい、そこメンバーでオフ会をするようなこともあったようです。たとえば『ONE 輝く季節へ』の里村茜というキャラのファンクラブとして「わっふる同盟」なんてのがありました(というか現存していた。すごいなあ)。

 あと、当時からフリーソフトを作成する人はいたのですが、それらのゲームに出てくるキャラの名前などを使ったツールも数多く存在していました「詩子さん」「なぞじゃむ」等々。あと、Winampなど各種スキンでも、それらのゲームの素材を使ったものがありましたね(これは著作権的にはかなりグレーなのですが)。

 また、音楽においてもこれらの影響がありました。当時自分でMidiなどで音楽を創作する人が増えていたのですが、その曲として、これらLeaf,Keyの音楽をアレンジする人がわりといたのですよね。あと「BM98」という音ゲーツールがあったのですが、それの素材に使われることも多々ありました。ちょっとネットからは外れますが、同人の世界においても、当時「Leaf・Key」というジャンルは、男性向け(3日目)の最大ジャンルとなります。ちなみに絵のみならず同人音楽でも、当時からボーカル入りの曲が出始めていたのですが、この系統の曲をアレンジしたものを発表していたサークルが多くありました。その人たちの一部はプロとして作曲したり、歌い手はエロゲーの主題歌を歌うようになっています(中にはKeyの曲を担当した人も)。

インターネットでこれらが盛り上がった背景

 さて、どうしてそこまでネットにおいてエロゲーの話題が主流になったのか。パソコンゲームが出来る人というのは、もちろんパソコンに触れるわけで、携帯電話もネット対応していなかった当時、エロゲーのユーザーが一番ネットに近かったからというのもあるでしょう。そして当時はまだネットは隠れた存在だったので、エロの話題をおおっぴらに出しても抵抗がなかったというのもあるかもしれません。PC-98時代のニフティサーブなどのパソコン通信でもエロゲー系のフォーラムはわりとあったようなので(たとえばYU-NOの話題とか)、ある意味自然な流れだったのかもしれません。

 あと、二次創作やファンサイトに対して、これらのメーカーが寛容だったということもあります。ファンサイトは歓迎、そして同人などでも趣味の範囲ならばOKという態度が多く、メーカー掲示板にもそのガイドラインが書かれていました。当時、同人系で著作権関連の事件が若干あり、不安に思っていた人もこれらを見て安心してファン活動が出来たという点もあるのではないでしょうか。もちろんそれらの作品が好きだというのが前提としてありますが。

「SS」の文化

 これはサイドストーリー、もしくはショートストーリーと呼ばれるもので、要はその作品の本編に書かれていないストーリーを創作して公開するというもの。これの書き手が非常に多く、それぞれの作品の投稿サイト、リンクサイトもありました。また、メーカーにも「SS掲示板」が存在していて、そこでの投稿数は1日十何件にも上る時がありました。もちろん質はそれぞれですが。
 ちなみに私もそれを書いていました。当時、数十ヒット程度でしたが「こんな見に来てくれるなんて」と感動したのを覚えています。ただ、もうどんなのを書いていたか忘れましたし、そのホームページのアドレスも覚えていません。つか、さすがにあの頃の文章を見たくはありません。悶絶すると思いますので。おそらくネット上のどこかにさまよっている可能性はあります(つか、TripodやGeocitiesならすでに消えている可能性の方が高いですけど)。

Leaf・Key二次創作の縮小

 しかし、2002年あたりから、そのようなSS、そしてファンサイトもどんどん減少してゆきます。理由はいくつも思いつきます。まずKeyでは2000年9月8日の『AIR』から次作『CLANNAD』までの発売期間が4年開いてしまい(2004年4月28日発売)、さすがにそこまで勢いが続かなかったこと。 ただ、同人で話題となっていた『月姫』のファンサイトが増えて盛り上がってはいたのですが、かつてのようにインターネット全体を巻き込む勢い、とまではいきませんでした。

 一番の原因は、このあたりからインターネットも普及し、とても全体をエロゲー文化、オタク文化で覆い尽くせるものではなくなってしまったこと。あと、インターネットユーザーでも娯楽が多様化し、それぞれの趣味に分散してしまったため、以前のように何か一つのゲームに対して盛り上がるということはなくなったせいかもしれません。
 正直、この時代にLeaf、Keyのゲームで盛り上がっていたというのが、特殊な条件がいくつも重なった、奇跡的な時代だったのでしょうね。

各種サイトはどうなったか

 たしかに10年近くが経ち、盛り上がっていたところでも多くは閉鎖してしまいました。また、メーカーのオフィシャル掲示板でも、SS投稿掲示板どころか、掲示板自体がその役割を終えています。SSに関しては各種リンク集も閉鎖したところが多いです

 ■りーふ図書館(書庫)(存続)
 ■かのんSS-Links(終了)

 しかし生きのこっているところはありますし、新たに作られたものもたくさんあります。前述のように同じ流れを汲んでニュースサイトやブログをやっている人もいるでしょう。
 そして昔のようにひとつの作品に集中というのではないけど、SSは数多く存在しています。以下のサイトを見ればわりと盛り上がっているようですし。

 ■二次創作データベース
 ■TYPE-MOON SS Links

 たしかにあの全体を巻き込む流れはなくても、何かの作品を愛してそれに対してインターネット上でリアクションを起こすという意思は、ずっと受け継がれているのではないでしょうか。pixivだってあれだけ盛り上がっていますしね。

……

■参考:Leaf・Keyのゲームがインターネット上で盛り上がりを見せた奇跡的な時代 – 空気を読まない中杜カズサ
■参考:SSは何故減ったのか。そしてSS書きはどこに行ったのか – 空気を読まない中杜カズサ

テキストサイト「終る世界」が遺したもの

 前回はバーチャルネットアイドルというテキストサイトの「光」的側面について書きましたが(バーチャルネットアイドル(VNI)界はあれからどうなったのか )、今回は逆に「陰」的なものについて書こうと思います。

「終る世界」と「自殺日記」

 1990年代後半から、日本でもインターネットはだんだんと普及し始めます。そして当時より「テキストサイト」が流行しはじめていました。主なところでは「ろじっくぱらだいす」「侍魂」、そして前回触れた「ちゆ12歳」といったものでしょうか。その中で、当時話題になり、今でも記憶に強烈に残っているサイトがあります。その名前は「終る世界」。

 何故、このテキストサイトが有名になったか。それは1999年10月28日、「自殺日記」と称するものが始まり、以下の文章が掲載されたことによります。

僕は今日から100日後に死のうと思います。
死ぬ方法はまだ考えていませんが、何らかの方法で自殺するつもりです。
僕はもうダメです。
あと100日。

「あと○○日」

 この衝撃的な日記は文字通りその日から毎日のように更新され、文末には1日が経つ毎に「あと○○日」とカウントダウンをしてゆきます。
 ただ、この一見釣りとも思えるようなサイトには、多くの人が引きつけられました。それはここの管理人であるzedoc氏の文章が、見たものに強いインパクトを与えるものだったからです。理性的でどこか客観的にも見える文章、それが淡々と想いや行動を書いてゆくのが、「自殺日記」という環境も相まって独自の世界を築いていたからでしょうか。
 
 今はもうそのサイトはありませんが、有志がミラーを残しているので、一度読んでみてください。

 ■終る世界
 ■参考:『終る世界』とは何だったのか?

「約束の日」

 そして「その日」が近づくにつれ、このサイトのことは、マスコミでも報じられました(参考:『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』P226)。

 しかし、それで日記が止むことはなく、「約束の日」(2000/2/5)になり、最後に以下の文章が書き込まれました。

時間がきました。これからチェックアウトします。今着ているスキーウェアのズボンがちょっと長めですが、長靴を履けばちょうどよくなると思います。現時点では、生きるか死ぬか、本当にまだ決めていません。僕はあの場所で決断します。僕の人生で初めての決断です。
それでは、行ってきます。

 その後、更新が行われることはなく、zedoc氏の消息は現在も不明です。余談ですが、その約一週間後、「不正アクセス行為の禁止等に関する法律」が施行され、ネット上から多くのアングラサイトが消滅、もしくは地下に潜りました。

「自殺日記」は本物だったのか

 さて、気になるのはこれが本物かどうかということでしょう。いかにも釣りっぽいとも言えます。それと、プロバイダが問い合わせを行い、ネタと判明したという噂も聞きます。しかし確たる証拠はなく、本物である可能性を否定するものはありません(実際に当時、「自殺します」と書いて、自殺したことが判明した管理人もいらっしゃいます)。どちらにしても、現在ではその証明は不可能に近いです。
 ただ、もしかしたらそんなことが本当かどうかというのは、(現実はともかく)ネット上においては対して重要なことではないのかもしれません。この時代に、このよな文章が書かれ、そして強いインパクトを与えたということだけが事実なのですから。

 ただ、もう同じことを出来るサイトはないでしょうね。少なくとも「終る世界」レベルのものは。それはあまりにもインターネットが一般化してしまったため。私が今日からいきなり、この「自殺日記」みたいなことを始めようものなら、いきなりどっかの公的機関からお問い合わせが来そうな感じです。
 この時代、当時のネットの状況だから出来たものなのでしょう。

 それが出来ないネットを健全化したと見るか、はたまた自由を喪失したと見るかは人によって違うでしょうが。

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