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ニュースのそれから Archive
ヤフオク有料化騒動はその後どうなったのか
- 2009-10-28 (水)
- インターネットの歴史 | ニュースのそれから

かつては無料だったYahoo!オークション
「ヤフオク」といえばYahoo!オークションのこと。これはすでにネットオークションの代名詞ともなっており、ネットにそれほど詳しくない人で知るものとなっています。
さて、ヤフオクは現在、出品量10円や、落札時に5%のお金がかかりますし、個人認証も必要ですが、以前出来た当時はこれらはなく、無料だったことはご存じでしょうか。それは途中から有料となったわけですが、その時には利用者の間でちょっとした騒ぎがありました。今日はその出来事を中心に、ヤフオクの歴史を辿ってみようと思います。
カオスだったヤフオク無料時代
ヤフオクのサービスがYahoo!の中で始まったのは、1999年9月28日。この頃は一切の出品にも落札にも手数料がかからず、本人確認もいりませんでした。さらにユーザーと落札者の連絡方法は殆どの場合メールアドレスでしたし、配送手段でも今みたいな匿名サービスなどはありませんでした。なんいうか、本当に「取引をする場所を提供するだけ」という、それまでも少しは存在した取引掲示板をシステム化したようなものだったわけなんですよね。
ちなみに当時は出来たばかりというのもあり、なかなか今では見られないカオスなものがありました。欲しいものを請求する「逆オークション」なんてのはよく行われていましたし、今で言うところの人力検索(Q&A)のように使う人もいました。それにネタ出品も見受けられましたね。中でも「ザク売ります」は有名です。
■参考:Yahoo!オークション – ザク売ります(傷あり)
しかし、当時からオークション詐欺みたいなものはあり、「あまり高価なものは買うな」「現物写真のないものは買うな」ということはよく言われていました(故に私はここに出品するため、初のデジカメを買いました。マルチメディアカードとかいう今では見なくなった企画のメモリだったような。おまけに吸い出すのがシリアルポートに繋げてとか面倒でね……)。
また、本当に送ってくるのかどうかわかりませんが、かなり違法の匂いのするものも出品されていたりしました。そんなカオスなところもあったのですが、当時はなかなか手に入らなかったものが安く出品されていたりして、わりと楽しかったですね。私もこの時に手に入れたサントラやグッズなどがわりとあったりします。
そして次第にヤフオクの便利さに評判も広まり、ユーザーが増加してゆきました。ただ、当時はサーバが激重になることもよくあり、マダテレホーダイもあったころですから、終了時間が11時~12時だったりすると、繋がらなくてそのまま終了しているといったパターンもありました(それを利用してスナイプしていた人もいるし)。
1回目の有料化
しかし2001年5月28日、Yahoo!はそれまで無料だったヤフオクの有料化に踏み切ります。かかる費用は月額280円。これはこの頃になるとだんたん顕在化してきた詐欺などの犯罪行為を防止するための本人確認ということでした。
ちなみにこの時にその決済に必要だったのがクレジットカードか指定された2つの銀行(ジャパンネット銀行、富士銀行エムタウン支店)だったのですが、この時ジャパンネット銀行に加入した人が増えました(口座維持手数料開始まで)。
で、この時のいきなりの有料化に、ヤフオクをやめてどこかほかのオークションサービスに移ろう、という声が上がり始めました。その候補としてアメリカでは最大手のネットオークションeBayや、ビッダーズ、エキサイトオークションなどがありましたが、個人確認の需要もあったし金額もそれほどではなかったため、有料化スタート直後は出品数を減らしたものの、その後は徐々に復活してゆきました。
出品料&落札システム利用料導入と出品者の移転騒ぎ
そして2002年3月31日、外資系らしい決断の早さででイーベイジャパンが日本から撤退します。
その発表の直後、Yahoo!はヤフオクを2002年4月15日より前述の月額に加えて、ひとつの出品あたり10円の出品料と、落札時に落札金額の3%を落札システム利用料として課金するという発表がなされました。
■「Yahoo!オークション」にシステム利用料を導入~出品者への従量課金を開始
イーベイ撤退後のいきなり出品ごとに課金するという行為に対して、それまでのユーザーで怒る人が続出しました。そして、ヤフオクの出品をやめて、ほかに移ろうという動きまで起き始めます。
この時候補になったのは、各種プロバイダのポータルサイトと連動していた「ビッダーズ」、それに無料の「WANTEDオークション」「ぐるぐるオークション」等でした。楽天オークションがないのは記憶が曖昧ですが、当時業者向けだけだったからかな?
■「探してる?」オークション&ショッピングのビッダーズ
■WANTED AUCTION ! オークション
■ぐるぐるオークション【完全無料オークション】
そして出品料開始後、これらに移行する出品者が現れ、またこの時点で出品を止めてしまった人も出てきたために、出品の総数はかなり減少しました(約420万件から6月には約230万件と半減したとのこと)。
しかしその後もトップを独走するヤフオク
しかし、しばらく立つとヤフオクに復帰する人が増え、結局ヤフオクトップの座は代わりませんでした(多少移ったブログと平行してやっている人がいたくらいかな)。
ちなみに結局ヤフオクで収まってしまったのには理由があります。まず、ネットオークションが一般的となり、ヤフオクがもう巨大な市場となってしまっていたこと。このネットオークションというのは、出品数が多いところに落札希望者が集まり、また落札希望者が多いところのほうがオークションの性質上高く売れる可能性が高いので出品者が集まるものとなっています。故に出品者が移っても、それがよほど大量でない限りは落札者も留まるので、移動が起きないのですね。
さらに移動出来たとしても大きな問題があります。それはこの時点ですでにかなりの利用者がいたヤフオクのアクセス負荷を担えることが出来なかったのですよね(実際ヤフオクの課金理由の一つは、それまでに費やしてきたサーバのもとをとるためというのも噂されましたし)。故に、かなり広まってしまったネットオークションを出来るのは、すでにヤフオクしかなかったということでしょうね。
その後、ヤフオクは2006年5月に落札時の徴収金額を5%に上げましたが、その時点ではもう移転の波はそれほど大きくなりませんでした。
■ヤフー、オークション手数料5%に値上げ、システム面の増強図る | ネット | マイコミジャーナル
現在のネットオークション
さて現在ですが、やはりヤフオクのトップは代わりませんが、システムなどいろいろなものが実装されたりしています(好評のもの、不評のもの両方ありますが)。メアド取引はもう過去の遺物になってしまいましたね。
ヤフオクの他にはビッダーズや楽天オークション、それに携帯における各キャリアのオークションなんてのがありますが、やはりヤフオクのシェアがダントツです(WANTEDオークションやぐるぐるオークションもまだちゃんとあります)。
さらにかつて敵だったイーベイとは、提携を組むことになりました(だけどその後の具体的なニュースがないな。そのうち調べるか)。
■イチローグッズを買うもよし、MANGAを売るもよし–ヤフオクとeBayが相互乗り入れ:ニュース – CNET Japan
なんかヤフオクの独占も、そしてネットオークションの市場も固まってしまった感じで今の需要があるし、よほどこの存在を脅かすようなサービスが出てこない限りは、このまま安定して続くのかなあと思います。ただ、個人的には今までの10年の間にあらゆるものが出尽くしてしまって、どんな珍しいものでも相場が固まってしまった感じがあり、そのへんのおもしろみがなくなっちゃったかなあと思います。サントラも価値があるのは本当に専門店のショーケースで売っているような値段でしか出品してないし(でもって回転寿司←落札ナシで回り続ける出品物の通称)。なのでここ数年は全然やってません。
まあたしかに安全、安心に使えるのが一番いいですが、あのカオスな時代を知っている自分は、そういうのも懐かしいと思ってしまうわけです。
—————————-
■参考:インターネットオークション – Wikipedia
■参考:Yahoo!オークション – Wikipedia
■参考:ネットオークションの落札相場、統計データの「オークファン」ヤフオクなどオークション価格比較から検索まで。オークションツール・無料出品テンプレートも充実!
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映画会社の日活はそれからどうなったのか
- 2009-09-13 (日)
- ニュースのそれから

日本では、いくつもの企業が立ち上がり、そして倒産しています。しかし倒産は必ずしも終わりではなく、民事再生法適用から立ち直るケースも数多くあります。そのため、倒産報道をされたのに今も元気に活動している企業はたくさん存在しています(当然ながらそこから清算に向かった企業も数多くありますが)。
で、中には何故か倒産、もしくは経営危機のようなニュースを何回か聞いて、その分野に詳しい人じゃなければなんだか今どうなっているのかよくわからない企業というのもあります。そのひとつが映画会社の「にっかつ(日活)」ではないでしょうか。
映画会社の名門、日活
「にっかつ(日活)」の名前をご存じの方は多いでしょう。特に年配の方には。簡単に歴史を振り返りますと、創立は1912年(大正元年)。昭和初期には経営難と戦時企業統合によって大映に制作部門を吸収されたものの、戦後の1954年(昭和29年)に撮影所を再建したあとは、石原裕次郎などを看板として盛んに映画の発表を行い日活の黄金時代を迎えます。さらにこのあたりでデビューした宍戸錠、浅丘ルリ子などは「日活ニューフェイス」と呼ばれ、長年俳優、女優として活躍することになります。
五社協定と映画の斜陽
この当時、俳優女優は原則として映画会社の所属でした。そして、日活は盛んに他社からの俳優、女優の引き抜きを行い映画を作成しようとしていましたが、他の映画会社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)はそれに対抗するため、1953年に「五社協定」を結びます。これは各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止するというもので、各社が所有している人材の引き抜き合戦を防止するためのものでした。ちなみに前述の「日活ニューフェイス」など、新人を発掘していたのは、日活がこの五社協定に対抗する意味合いもあったようです。
ですがこの協定には1958年に日活も参加して「六社協定」となります(三年後に新東宝の倒産で再び五社協定に)。
しかし、この五社(六社)協定は、結果として俳優、女優や監督の自由な職場選択を妨害する協定にもなってしまいました。そして事実、会社とケンカした俳優、女優は会社を辞めさせられてもこの協定のため他の会社に移籍できず、映画界から干される形となってしまいます。有名なところでは山本富士子、田宮二郎などがその犠牲になります。しかしそれらの俳優は、まだ新興で大きな市場とは言えなかったテレビに活躍の場を移しますが、この当時から急激にテレビ市場が成長しだし、逆に映画産業は斜陽の時代を迎えます。
余談ですが、この当時の状況を調べてみると、今のテレビとその他媒体(ネットなど)との関係と微妙に重なるところがあるなと思ったりもするのです。
■参考:五社協定 – Wikipedia
日活ロマンポルノ時代
そして1960年代後半の映画産業の斜陽は映画会社を直撃し、まず1961年には新東宝が倒産(ただこれは社長のワンマンぶりが倒産に導いたとの要因もあるようですが)。そして日活もそれらの斜陽に加え社内体制の問題から経営が悪化、各地の劇場を売却し、1970年には日比谷の本社ビルを売却することになります。
そこで1971年に、それまでの路線から制作費がかからず一定の収入が望める「日活ロマンポルノ」路線へと切り替わります。これは当時にしてみればかなりの驚きだったようです。喩えればコンシューマでやっていた会社がいきなりエロゲー会社になったような衝撃でしょうか(ちょっと違うか)。
ただ、ここから周防正行、滝田洋二郎、森田芳光といった、現代日本の代表的な監督をデビュー、育成する場所となったために、十分異議のある場だったと思われます。
しかし、1982年代後半からのビデオ及びアダルトビデオの普及で、このような映画も衰退期を迎えます。そして「ロッポニカ」レーベル、CSのチャンネルNECO設立などを行いますが、それもうまくいかず、バブル崩壊後の1990年代には経営はさらに悪化してゆきます。
倒産、そして経営母体の変更
そして、1993年、とうとう会社更生法の適用を申請し倒産。しかしここで経営を支援する企業が現れました。それはゲーム会社のナムコ(現バンダイナムコゲームス)。そして中村雅哉会長がナムコ会長と兼任します。
■日活再建を早めたナムコが「映像都市」構想 – ニュース – nikkei BPnet
■参考:日活、ナムコのゲーム「太鼓の達人」をクレイアニメ化
しかし、2000年代になると、今度はゲーム産業のほうに変化が生じ統合が進みます。そしてナムコもバンダイとの経営統合となり(2005年9月30日統合)、それに伴ってかナムコも日活をUSENへ売却を検討。しかしこれは失敗し、その後インデックスがナムコ保有の日活株式を取得し、インデックスグループ傘下の子会社となります。おそらくこの辺りのニュースで、日活がどうなったかわからなくなっている人が多いのではないでしょうか。
■USEN、ナムコに日活の株式譲渡の白紙撤回を申し入れ
■ITmediaニュース:インデックス、日活を買収
その後、2009年、日本テレビがインデックス・ホールディングスから同社保有株式の34.00%の譲渡を受け取得、現在も筆頭株主となっているようです。
■日本テレビ、日活の株式34%を約24億円で取得へ
現在も映画会社として活動中
そして現在でも日活は活動しています。最近では『デスノート』や『ヤッターマン』(実写版)の制作に携わっているようです。
また、映画制作の他、映画館やシネマコンプレックスの経営、それと日活芸術学院の運営、前述のチャンネルNECOなど局の運営も行っているとのこと。
■日活
■参考:日活 – Wikipedia
余談ですが、かつて日活同様トップクラスの映画会社として有名だった大映は、徳間書店参加を経て、今は角川書店の角川映画株式会社となっていて、こちらも今も活動しています。東映、東宝、松竹は言うまでもなく続いていますね。
■角川映画
映画を視聴する形は昭和の時代からだいぶ変わってしまいましたが、コンテンツはいつの時代にも不滅だと思いますので、きっと映画や日活も形を変えても生き続けるのではないかと思います。
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ユニクロ野菜はそれからどうなったか
- 2009-09-09 (水)
- ニュースのそれから

上昇ユニクロの低迷時代
現在の微妙な景気の中でも、絶好調な企業の一つがユニクロ。
■NIKKEI NET(日経ネット):企業ニュース-企業の事業戦略、合併や提携から決算や人事まで速報
■不況に克つ:「独走」続くユニクロ 繊維大手と二人三脚 ヒット商品、素材から開発 - 毎日jp(毎日新聞)
しかし、このユニクロもずっと好調を保っていたわけではなく、停滞していた時期もありました。2000年あたりまでフリースなどの売り上げで急成長してからは、低迷期に入ります。そして、その時期より少し前から、その時点での路線での限界を予測していたのか、ユニクロの経営会社である株式会社ファーストリテイリングは様々な手段を模索し始めます。例えばレディースアパレルブランド『ナショナルスタンダード』(2006年3月解散)の子会社化など。
その中で「何でユニクロがそんなところに?!」というので話題になったのが、ユニクロの野菜販売進出。
ファーストリテイリングの野菜販売「SKIP」
ファーストリテイリングは2002年9月、子会社・株式会社エフアール・フーズを設立します。そして、「SKIP」というブランド名で野菜などの食料品を販売することを発表します。
■日本消費経済新聞 企業情報・新商品 2002年11月04日号
上の記事によると、売り方の形態は何もユニクロの店舗で売るわけではなく、通信販売形態で、以下の通り。
販売の柱となるのは会員制の定期購入クラブ「SKIPクラブ」。隔週ごとに「おまかせ」で旬の野菜や果物の詰め合わせが届く(送料200円)。家族の人数に応じて3つのコースから選べる。牛乳、たまご、米、ジュースなどはオプションで追加できる(初回会員数は1万5千人限定)。
そして野菜のほか果物や牛乳、卵なども扱っており、全買い上げ契約を結んだ全国500余りの「農業家」が提供するという形だったようです。
さらにその野菜にも特徴がありました。
余分な水と肥料を極力抑え、自然本来の持つ力を引き出すという永田照喜治さん提唱の「永田農法」で生産。時間をたっぷりかけてつくるこの農法は、糖度の高いトマトなどで有名だ。野菜によっては除草剤を使わないと決めたものもある。おいしさに加えて、栽培履歴の公開、重要と思われる50種余の残留農薬検査(抜き取り検査)の実施など、安全性にもこだわり、〝品質に見合った安定した価格〟で届ける。通常のスーパーの野菜よりは多少高くなるが、「日本人の舌なら野菜の本当のおいしさをわかってもらえる」(柚木社長)。品質を優先し、その上で、物流をシンプルにするなどコストを極力下げる努力を続ける。「日本の野菜が世界一おいしい」といわれるようにすることが夢だ。
このように、高品質な野菜を通販で届ける形として事業を開始したのですね。ある意味低価格路線で且つ代表的な店舗売りのユニクロとは対極かもしれません。
■参考:安心ブランドを作る表現と仕組み、ユニクロ野菜のSKIP – ニュース – nikkei BPnet
また通販だけではなく、松屋銀座本店に店舗を開くなどもしていたようです。
業績低迷
しかし、当初から売り上げが低迷。初年度8か月間(2002年10月~2003年6月期)の売上高は、当初見込みの約半分の6億円程度だったということ。
■株式会社エフアール・フーズ 代表取締役社長 柚木治氏 – インタビュー – 環境goo
上のインタビューによると、会員数の伸びは計画通りだが、単価と購入頻度が予想を下回ってしまったとのこと。その主因は2つ価格の高さと、会員制コースの使い勝手の悪さを挙げています。
エフアール・フーズ解散
そして2004年3月、株式会社エフアール・フーズは解散してしまいました。
■【社長の】「ユニクロ」食品販売子会社解散、特損28億円【肝いり】 - 2ch NewsZIP[痛いニュース+](当時の2chニューススレより)
設立が2002年9月ですから、1年半の早期で撤退したことになります。2003年6月期は9億円強の経常赤字だったとのこと。
何故撤退に追い込まれたのか
何故、SKIPは撤退せざるを得なかったのでしょうか。ぱっと思いつくものとしては、ユニクロの衣料品的イメージと青果のイメージが結びつかなかった人が多かったこと、同時に低価格イメージがついていたユニクロのイメージが野菜にもついてしまい、特売野菜の販売みたいなイメージがつきまとってしまったこと、数少ない加入者も、生活協同組合のような既存の組織と需要が重なってしまった点などがありますね。しかし何事にも増して、1年半で見切ってしまったファーストリテイリング柳井会長の即断性があるでしょう。ある意味この決断力がユニクロを成長させてきたのかもしれません。
これらついて、SKIPを利用していたという finalventさんの見解が興味深いので、以下に。
今ならうまくいくか
ただ、事業としては早期終了してしまいましたが、調べる限り実際に頼んだ人からは好意的な意見が多いのですよね。
■ユニクロの野菜 – 関心空間
■ウワサでは聞いていたけど、果たして美味しいの? ユニクロ野菜「SKIP」試食 – [子育て事情]All About
きっと、安心でうまい野菜を手に入れたいという需要はあるとは思うのですよね。ただ、それには現時点では手間とコストがどうしてもかかってしまうと。
農業に対しての注目が高まっている昨今、またファーストリテイリング、もしくはほかの企業がこのような経験を糧として、また良質な農作物を簡単に入手できるような仕組みを構築して、広まればいいなとは思います。
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サティアンのあった上九一色村はその後どうなったか
- 2009-09-06 (日)
- ニュースのそれから

1995年の衝撃
昭和50年代生まれの私にとって、今まで社会的に一番印象に残っている年はいつか、と聞かれれば、1995年と答えるでしょう。それは1月17日の阪神淡路大震災、そして3月20日の地下鉄サリン事件から始まる一連のオウム事件があったからです。この年はこれらのことを全く目や耳にしない日はないくらいでした。今思ってもなんというか日本が独特の雰囲気に包まれていたような年だったと思います。
私は当時学生でしたが、おそらくこんな衝撃的な出来事が起こる年は一生のうちでまたあるかと思う位でした(2001年9月の新宿ビル火災と911にもさすがに驚いたけど)。
さて、この当時毎日のようにこれら、とりわけオウム事件についての報道がなされ、それらのニュースがない日はありませんでした。当時はまだインターネットやケータイは全然普及していない時代ですので、主な情報入手先はテレビや新聞でした。今考えてみれば、ここが日本人が一番多くテレビに集中した最後の時だったのかもしれないなんて思ったりします。
で、そんなわけで連日オウムの報道がなされていて、そこでよく使われた言葉は子供でさえ覚えているくらいでした。当時バイトに行った子供のイベントで、小学生が「ああ言えば上佑」とかオウムの歌を歌っていたのには、そこまで影響してたんだ…と妙な関心をしたものです(当時小学生だった人は今は20代前半くらいでしょうが、やっぱそうだったのかなと)。
そんな中、それまでは日本人の多くの人が知らなかったのに一気に知れ渡った単語と地名があります。それが「サティアン」と「上九一色村」。
オウムの拠点
この単語、20歳以上の人なら覚えている人も多いでしょう。
簡単に言えばオウム真理教の施設名。地下鉄サリン事件以後はそこへの捜査の模様、そしてそこでわかったことなどが連日報道されました。特に有名なのは、サリンを製造していたと言われる第七サティアンですね。
ここを舞台に様々な捜査が行われましたが、捜査員がものものしい毒ガス対策装備をしながらガス検知用のインコかカナリアを持って歩くシーン等も繰り返し流され、インパクトに残りました(今思うと中東戦争時のオイルにまみれた鳥映像くらい流しすぎな感はありましたが)。
で、このサティアンがあった山梨県の村、上九一色村も一気に知名度が広まってしまいました。もともとここには1989年からオウム真理教が施設を建て始めて、ごく一部では「ここで共同生活をしている」とか「パソコンを組み立てている」程度には知られていましたが、この1995年で一気に注目されたと言えます。ちなみに事件の前にここのネタで「ホトトギス神秘教」というギャグをしたマンガがあったのですが、あれは事件後に読んでびっくりした記憶があります。
その後、一連の捜査が終わり人がいなくなると、ここは興味のある人の観光名所として実際に行ってみる人がそれなりにいたそうです。しかし翌1996年には、そおサティアン全体が取り壊されてしまいました。
さて、その上九一色村ですが、この一連のオウム騒ぎによって本来の村民自体はオウムと殆ど関わりがなかったにもかかわらず、ネガティブなイメージがついてしまったために、その回復に悩まされることになります。
富士ガリバー王国建設
そこで、1997年に村のイメージ回復のためにテーマパーク「富士ガリバー王国」が設立されます。名前の通り、ガリバーが横たわっていたりする欧風のテーマパークで、最初の頃は話題になった上九一色村でテーマパークが出来たということで、何度かニュースで紹介されていた記憶があります。
しかしその矢先、1999年に運営会社のメインバンク、新潟中央銀行が経営破綻になり、その煽りを受けます。加えて来場者数も伸び悩みます。それは長引く不況のせい、そしてかつてのイメージがぬぐえなかったせいもあるかもしれませんが、個人的にはそれよりも交通アクセスの悪さがあると思います。いや、ここ車以外での到達が非常に難しいのですよね。鉄道から遠いし。自分もちょっと仕事に暇が出来たので、実際に跡地のいけるところに行って(廃墟でも管理下にある施設に入ったら不法侵入となるのでたいていは外側からくらいしか無理)様子を見てこようかなとは思ったのですが、ここ、鉄道で到達するのが困難なので、車のない私は断念しましたし。
ちなみにそのHPが今でも残っていました。
ホームページが独自ドメインではなく、アサヒネット内なのが時代を感じさせます。
富士ガリバー王国閉鎖、そしてザ・ドッグランオープン
そして2001年10月28日、閉鎖となります。ちなみにその後、跡地は心霊スポットとして一部で有名になったようです(未確認情報ですが、その際侵入した人が不法侵入で書類送検もされたりしたようです)
その後2002年にタカギリゾート(現・壮快美健館)がこの土地を買収します。
■ガリバー王国の競売→タカギリゾートが落札=山梨県上九一色村[021128](当時の2chニューススレより)
そしてその後、この土地に愛犬家が犬と遊ぶための施設『ザ・ドッグラン』が2004年08月にオープンします。
更地に
しかし、やはり交通の便が災いしたのか、2005年には営業を休止(ちなみに、この当時日本各地でテーマパークが閉鎖しています)。その後2006年には不動産大手のアーバンコーポレイションが買収します。そして2007年には既存の構造物全般を解体し更地になったようです。しかし、最近のことなのでご存じの方もいると思われますが、アーバンコーポレイションは2008年8月13日に経営破綻してしまいます。
■2008年8月13日(アーバンコーポレイション – Wikipedia)
アーバンコーポレイションは現在経営再建中でありますが、この跡地の持ち主がどうなっているのかは不明です。
■参考:【地域経済】「ガリバー王国」閉園から6年…跡地利用針路どこへ 山梨 [08/04/11](2chのニュース記事より)
■参考:富士ガリバー王国 – Wikipedia
名前が消えた上九一色村
さて、この土地の所有者だけではなく、実はこの地域の名前も変わっているのです。
平成10年代に頻繁に行われた「平成の大合併」において、この上九一色村も他の市町村と合併することになったのですが、そこでちょっと変わった現象が起きます。ここには南側に精進と本栖と富士ヶ嶺、北側の山峡には梯と古関の各地区があったのですが、それぞれの関係性は交通の都合上など薄かったたため、いろいろな協議がありながら、合併時には北部は甲府市などと、南部は河口湖町などとの合併を行うこととなり、2006年3月に北部は甲府市・中道町と、南部は富士河口湖町(河口湖町、勝山村、足和田村が合併した名前)と上九一色村南部の合併が行われます。これによって「上九一色村」の名前はなくなりました。
■麻原被告逮捕から10年…上九一色村消滅 – nikkansports.com > 社会ニュース
■参考:甲府市・中道町・上九一色村 合併協議会
■参考:livedoor ニュース – [特集]オウムの幻影を追って(1)
■参考:上九一色村 – Wikipedia
これからどうなるか
前述のように、現在は特に何もない場所になっているようです。やはり交通の便がネックでしょうね。ただ、このあたりには本栖ハイランドなどオフロードコースがあり、そっちが趣味な人には人気があるみたいです。
■本栖ハイランド – 精進湖・本栖湖・富士ヶ嶺地区・朝霧地区のレジャー/スポーツ施設/情報です。
また、本栖湖方面には高速バスが走っており、山の中でのキャンプやリゾート客も訪れているとのこと。
あと何十年後かには、この甲府のあたりに中央新幹線(リニアモーターカー)の駅が出来て、東京から数分で来られる地域になります、その時にはここはまた注目される土地となるのでしょうか。
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ファンロードはそれからどうなったのか
- 2009-08-12 (水)
- ニュースのそれから

歴史ある投稿雑誌『ファンロード』
『ファンロード』という雑誌をご存じでしょうか。20歳以上で今までオタク文化のいずれかに触れてきた人ならば、読んだことのある人はそれなりにいると思いますし、実際に読んではいなくても聞いたことがある人は多い名前だと思われます。
ひとことで言えば、アニメ、ゲームなどオタク系メディアのファン向け投稿誌ではありますが、その歴史は古く、創刊は1980年7月15日。『アニメック』というアニメ雑誌の兄弟誌としてラポートから発行されました。当時はインターネットがなかったばかりではなく、ゲームでさえ殆ど存在していませんでした。そういったアニメ、マンガなどサブカル系の投稿、交流の場として、『OUT』(みのり書房)などと共にファン活動の場を支えてきました。
そしてここに投稿していた人で、後にプロ、とりわけマンガ家にになった人は数知れず。歴史が長いのでそれこそいろいろな人がいますが、私の世代では『ケロロ軍曹』の吉崎観音氏が一番知られているかもしれません。あと『神聖モテモテ王国』のながいけん氏、『恋愛ディストーション』の犬上すくね氏は当時からファンでした。あと○蜜柑さんとか六鹿文彦さんとか言い出すときりがないな。
他にもファンロードの詳しい解説をしようとも思いましたが、非常に長い上に濃いので割愛します。機会があればまたそのうち(かなり限定的な需要だとは思われますが)。
ラポート倒産で1度目の休刊
そんなサブカル系交流の場となっていた『ファンロード』ですが、1990年代半ば頃からインターネットが普及してくると、ファン活動の場がだんだんと即時性のあるそちらに移ってゆき、再生時に比べ雑誌の勢いが低迷します。それでもファンロードという文化のファンが多かったのと、投稿誌ナンバーワンだったのもあったので雑誌は読まれていた感じですが、その発行元、ラポート社が資金繰りに行き詰まったために2003年10月5日、倒産してしまい、そのまま発行が出来なくなってしまいます。
■参考:ラポート – Wikipedia
倒産はあまりに青天の霹靂であり、多くの読者を驚かせました。実際、次の号も既に完成したのに発行がされなかったということ。
復刊と大都社時代
しかし、『ファンロード』の制作元である銀英社は、ラポートに変わる発行元を探し、その結果大都社が発行元となり、幸いにしてすぐ復活します。
ただ、2003年頃というのはインターネット普及と不景気による出版不況が顕著になり始めた時期で、いくつもの雑誌が休刊していました。そしてそれはファンロードでも例外ではないどころか、100%自作品を発表できるインターネットに押されていた感じがあります。それでも前述のようにファンロードという空間が好きな人に支えられて、雑誌存続してゆきます。
余談ですが、ファンロードには公式ページらしきものがこの大都社時代の、しかもだいぶ簡素であり且つ2004年で止まっているものしか出てきません。たしかにWebに割く人員がないというのは想像できますが、このために買ってなかった私は近況がさっぱりつかめなかった、というのもあります。故に新創刊された時には、公式の告知ページとか欲しいなと思ったりします。そうしれば少なくとも、趣味の特集が合致した時に買う人はいると思うので。
再度の休刊
しかし2009年3月14日発売の同年4月号、大都社からの出版が休刊になる告知がされました。
■「ファンロード」、再び休刊 – ITmedia News
■いけさんフロムFR・NEO RE 月刊ファンロード休刊!描いたハガキは何処へ行く…?
理由としては、広告出稿の減少という出版不況の雑誌が抱える問題が直撃した形です。その他にも紙の価格が高騰して採算が取れなくなったことも挙げられています。その当時の発行部数は約5万部ということ。
この時は、インターネット上でも騒ぎになり、各地で昔の思い出が語られたりしました(自分も含めて)。
そしてその後は銀英社などが運営する「ファンロードモバイル」で続けられるという旨の発表がなされました。
そして再度の復活
その後数ヶ月、モバイル版での投稿と公開は続いていましたが、6月になり新しく『ファンロード改』としてインフォレスト株式会社発行される旨が発表されます。
■ファンロード復刊 「ファンロード改」に – ITmedia News
■参考:いけさんフロムFR・NEO RE 買った!ファンロード改ッ!!
そして7月、コスプレ雑誌「COSMODE」の増刊号として7月16日に発売されました。
9月からは独立し、月刊で発売になるそうです。編集は従来通り銀英社が担当するとのことです。
もしかしたら8月14日からの夏のコミケで「さよならファンロード」的な本を描こうとしていた人がいたかもしれませんが、嬉しい誤算ではないでしょうか。
長い目で見守ろう
しかし、この手のものってなくなるときは大きな話題になっても、復活の時にはそれより話題が小さくなりますよね。人間心理的になくなるほうが興味を集めやすいから仕方ない面はありますし、私も他の分野でそれと似たようなことをやっている可能性は高いのでそれを非難することはできませんが、注意しないと復刊を知らないまま3度目の休刊になってしまうかもしれません。そういうことも兼ねて、今回書かせていただきました。
というわけで、9月に月刊刊行が再開した後も、しばらくは本誌を購入しようと思っています。
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ヤフオクで売り出された2chまとめブログはそれからどうなったのか
ネット上では、サイトの運営企業が突然変わることというのはよくあります。それはそのサイトが何らかの事情(そのサイトの売却や、元の運営会社の撤退や倒産)で譲渡されるケースが多いからですが、最近では個人が運営しているサイトでも譲渡されることがあります。昔から、過去の運営者が何らかの都合で運営できなくなったために次の管理できる人に渡すといったことはファンサイトなどでよく見られましたが、最近では金銭的に譲渡されることもよくあります(あとはもとの運営者が起業するってことも)。
で、その中にはオークションを使ったりして、個人で売りに出すケースもあります。そして、それで話題になったブログがありました。今日はそれについて。
最初に2chまとめブログを売りに出した『After』
まず、2008年9月に、とある2chまとめサイトがヤフオクで出品されます。
■livedoor ニュース – 【トレビアン】2chまとめブログがヤフオクに出品?
このサイトは『After』というもので、総アクセス数3,374,117、総記事数333、総コメント数15,898だったということ。ともあれ一番最初にヤフオクに出品された2chまとめブログだったために、話題となりました。
■超人気ブログが『Yahoo!オークション』に出品された! – ロケットニュース24(β)
ヤフオクの当時のページは消えておりましたが、結果としては83000円で落札されたということ。
■After|JKさやの2chまとめブログ
■参考:2chまとめブログが83000円で落札される。5万円くらいまで競ってたんだけど俺 | インターネット広告屋の社長日記
ちなみにその落札者が女性だったのも、話題となりました。
■2chまとめブログの買収で話題の『Afterの管理人・現役JKさや』に会ってきた。 – これはえがいblog
なんと53万円で売れたブログ
そしてもうひとつ、今年の5月にオークションに出されて話題になった2ちゃんまとめブログがありました。それは『アルカン速報』という2chまとめブログ。
■アルカン速報、売却のお知らせ。 – アルカン速報
■| ^^ |秒刊SUNDAY | 人気コピペブログ『アルカン速報』が売却するようです。
これを見ると、だいたい1日4万~7万程度のアクセスがあったようです。
で、これもヤフオクに出されましたが、その結果がこちら。
■2chコピペブログ 「アルカン速報」 – Yahoo!オークション
その落札価格は535,000 円という超高値。でもこの手のオークションではイタズラ入札が多いので、そうだと思っていました。
ところが後日、そこに新しいサイトが開設されました。
それについてのブログ主の経緯。
■よろしくお願い致しますsan*****と申します – アルカン速報
この文面を信じる限り、本当に53万で落札したようです。世の中には金持ちがいるんだなあと思ったりします(まあ自作自演という可能性もないとは言えませんが)。
あと、正式名称は今でも『アルカン速報』なのに、看板が「53万速報」となっているあたりがポイントのようなそうじゃないような。
ちなみに両者ともFC2ブログであり、FC2の規約としては「FC2の事前の許可を得ることなく第三者に譲渡及び販売・貸与してはならない」とあったみたいですが、その点は許可が下りたということです。
二つのブログの価格差
ちなみに、何でこの価格差がついたかというのは、以下のサイトで分析がありました。
■2chまとめブログオークション、アルカン速報53万とAfter8万円の違い | インターネット広告屋の社長日記
まあ、知名度の差はありますが、オークションの妙という点もあるようで。
そして両者とも、今でもきちんと更新されています。
私のブログは売れるかな?
ちなみにこのブログなど私が運営してるブログ、なんかの間違いでウシジマくんに追われることにでもならない限り売るつもりはないにしても、いくらぐらいで売れるでしょうかと考えてみたことがありますが、正直あまり高値では売れないという結論に達しました。というのは、文章が中心コンテンツであるため、その運営者によって大きく特色が変わってしまうために、その譲渡されても保たれるサイトとしての価値はそんなにないと思うので。まあ私よりすごい書き手はいくらでもいるでしょうが、そういう人がいるならいちいちサイト買収する必要もないでしょうし。ついでに言えばあまり特定商品と直結していないので。あえて言えばゲームミュージックなブログ=ゲーム、ゲームCDってとこかな。
これらのことはテキスト中心のものが多い個人サイト全般に言えるでしょう(逆に言えば、そう言った譲渡をするためには、管理人の個性を消さなければいけないのかも)。
まあその金銭にならない特色が個人サイトの管理人それぞれの自負であり、更新の原動力であると思ったりします。
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