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インターネットの歴史 Archive
ヤフオク有料化騒動はその後どうなったのか
- 2009-10-28 (水)
- インターネットの歴史 | ニュースのそれから

かつては無料だったYahoo!オークション
「ヤフオク」といえばYahoo!オークションのこと。これはすでにネットオークションの代名詞ともなっており、ネットにそれほど詳しくない人で知るものとなっています。
さて、ヤフオクは現在、出品量10円や、落札時に5%のお金がかかりますし、個人認証も必要ですが、以前出来た当時はこれらはなく、無料だったことはご存じでしょうか。それは途中から有料となったわけですが、その時には利用者の間でちょっとした騒ぎがありました。今日はその出来事を中心に、ヤフオクの歴史を辿ってみようと思います。
カオスだったヤフオク無料時代
ヤフオクのサービスがYahoo!の中で始まったのは、1999年9月28日。この頃は一切の出品にも落札にも手数料がかからず、本人確認もいりませんでした。さらにユーザーと落札者の連絡方法は殆どの場合メールアドレスでしたし、配送手段でも今みたいな匿名サービスなどはありませんでした。なんいうか、本当に「取引をする場所を提供するだけ」という、それまでも少しは存在した取引掲示板をシステム化したようなものだったわけなんですよね。
ちなみに当時は出来たばかりというのもあり、なかなか今では見られないカオスなものがありました。欲しいものを請求する「逆オークション」なんてのはよく行われていましたし、今で言うところの人力検索(Q&A)のように使う人もいました。それにネタ出品も見受けられましたね。中でも「ザク売ります」は有名です。
■参考:Yahoo!オークション – ザク売ります(傷あり)
しかし、当時からオークション詐欺みたいなものはあり、「あまり高価なものは買うな」「現物写真のないものは買うな」ということはよく言われていました(故に私はここに出品するため、初のデジカメを買いました。マルチメディアカードとかいう今では見なくなった企画のメモリだったような。おまけに吸い出すのがシリアルポートに繋げてとか面倒でね……)。
また、本当に送ってくるのかどうかわかりませんが、かなり違法の匂いのするものも出品されていたりしました。そんなカオスなところもあったのですが、当時はなかなか手に入らなかったものが安く出品されていたりして、わりと楽しかったですね。私もこの時に手に入れたサントラやグッズなどがわりとあったりします。
そして次第にヤフオクの便利さに評判も広まり、ユーザーが増加してゆきました。ただ、当時はサーバが激重になることもよくあり、マダテレホーダイもあったころですから、終了時間が11時~12時だったりすると、繋がらなくてそのまま終了しているといったパターンもありました(それを利用してスナイプしていた人もいるし)。
1回目の有料化
しかし2001年5月28日、Yahoo!はそれまで無料だったヤフオクの有料化に踏み切ります。かかる費用は月額280円。これはこの頃になるとだんたん顕在化してきた詐欺などの犯罪行為を防止するための本人確認ということでした。
ちなみにこの時にその決済に必要だったのがクレジットカードか指定された2つの銀行(ジャパンネット銀行、富士銀行エムタウン支店)だったのですが、この時ジャパンネット銀行に加入した人が増えました(口座維持手数料開始まで)。
で、この時のいきなりの有料化に、ヤフオクをやめてどこかほかのオークションサービスに移ろう、という声が上がり始めました。その候補としてアメリカでは最大手のネットオークションeBayや、ビッダーズ、エキサイトオークションなどがありましたが、個人確認の需要もあったし金額もそれほどではなかったため、有料化スタート直後は出品数を減らしたものの、その後は徐々に復活してゆきました。
出品料&落札システム利用料導入と出品者の移転騒ぎ
そして2002年3月31日、外資系らしい決断の早さででイーベイジャパンが日本から撤退します。
その発表の直後、Yahoo!はヤフオクを2002年4月15日より前述の月額に加えて、ひとつの出品あたり10円の出品料と、落札時に落札金額の3%を落札システム利用料として課金するという発表がなされました。
■「Yahoo!オークション」にシステム利用料を導入~出品者への従量課金を開始
イーベイ撤退後のいきなり出品ごとに課金するという行為に対して、それまでのユーザーで怒る人が続出しました。そして、ヤフオクの出品をやめて、ほかに移ろうという動きまで起き始めます。
この時候補になったのは、各種プロバイダのポータルサイトと連動していた「ビッダーズ」、それに無料の「WANTEDオークション」「ぐるぐるオークション」等でした。楽天オークションがないのは記憶が曖昧ですが、当時業者向けだけだったからかな?
■「探してる?」オークション&ショッピングのビッダーズ
■WANTED AUCTION ! オークション
■ぐるぐるオークション【完全無料オークション】
そして出品料開始後、これらに移行する出品者が現れ、またこの時点で出品を止めてしまった人も出てきたために、出品の総数はかなり減少しました(約420万件から6月には約230万件と半減したとのこと)。
しかしその後もトップを独走するヤフオク
しかし、しばらく立つとヤフオクに復帰する人が増え、結局ヤフオクトップの座は代わりませんでした(多少移ったブログと平行してやっている人がいたくらいかな)。
ちなみに結局ヤフオクで収まってしまったのには理由があります。まず、ネットオークションが一般的となり、ヤフオクがもう巨大な市場となってしまっていたこと。このネットオークションというのは、出品数が多いところに落札希望者が集まり、また落札希望者が多いところのほうがオークションの性質上高く売れる可能性が高いので出品者が集まるものとなっています。故に出品者が移っても、それがよほど大量でない限りは落札者も留まるので、移動が起きないのですね。
さらに移動出来たとしても大きな問題があります。それはこの時点ですでにかなりの利用者がいたヤフオクのアクセス負荷を担えることが出来なかったのですよね(実際ヤフオクの課金理由の一つは、それまでに費やしてきたサーバのもとをとるためというのも噂されましたし)。故に、かなり広まってしまったネットオークションを出来るのは、すでにヤフオクしかなかったということでしょうね。
その後、ヤフオクは2006年5月に落札時の徴収金額を5%に上げましたが、その時点ではもう移転の波はそれほど大きくなりませんでした。
■ヤフー、オークション手数料5%に値上げ、システム面の増強図る | ネット | マイコミジャーナル
現在のネットオークション
さて現在ですが、やはりヤフオクのトップは代わりませんが、システムなどいろいろなものが実装されたりしています(好評のもの、不評のもの両方ありますが)。メアド取引はもう過去の遺物になってしまいましたね。
ヤフオクの他にはビッダーズや楽天オークション、それに携帯における各キャリアのオークションなんてのがありますが、やはりヤフオクのシェアがダントツです(WANTEDオークションやぐるぐるオークションもまだちゃんとあります)。
さらにかつて敵だったイーベイとは、提携を組むことになりました(だけどその後の具体的なニュースがないな。そのうち調べるか)。
■イチローグッズを買うもよし、MANGAを売るもよし–ヤフオクとeBayが相互乗り入れ:ニュース – CNET Japan
なんかヤフオクの独占も、そしてネットオークションの市場も固まってしまった感じで今の需要があるし、よほどこの存在を脅かすようなサービスが出てこない限りは、このまま安定して続くのかなあと思います。ただ、個人的には今までの10年の間にあらゆるものが出尽くしてしまって、どんな珍しいものでも相場が固まってしまった感じがあり、そのへんのおもしろみがなくなっちゃったかなあと思います。サントラも価値があるのは本当に専門店のショーケースで売っているような値段でしか出品してないし(でもって回転寿司←落札ナシで回り続ける出品物の通称)。なのでここ数年は全然やってません。
まあたしかに安全、安心に使えるのが一番いいですが、あのカオスな時代を知っている自分は、そういうのも懐かしいと思ってしまうわけです。
—————————-
■参考:インターネットオークション – Wikipedia
■参考:Yahoo!オークション – Wikipedia
■参考:ネットオークションの落札相場、統計データの「オークファン」ヤフオクなどオークション価格比較から検索まで。オークションツール・無料出品テンプレートも充実!
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ジオシティーズ全盛時代の思い出を語る
- 2009-05-03 (日)
- インターネットの歴史

アメリカYahoo!のジオシティーズが今年中に閉鎖となるようです。
■米ヤフー、GeoCitiesを年内に終了へ–個人ホームページ時代の終焉とともに:ニュース – CNET Japan
ネット歴が5年以内の人にはご存じのない方も多いでしょうが、このジオシティーズというのはインターネットのホームページスペース提供サービスで、現在はYahoo!の一部となっていますが、もともとはGeoCities社が運営していたもので、1990年代後半のインターネット黎明期~発展期には、ここがホームページスペースの主流であり、有名な存在でした。ちなみに他にもTripodとかtoktokなんてのもありましたね。
■GeoCities – Wikipedia
■Tripod – Wikipedia
せっかくなので、オッサンホイホイになるのを承知で当時の思い出とかいろいろ書いてみようと思います。
日本インターネット黎明期の代表的HPサービス
1996~7年あたりから徐々にインターネットが日本でも普及し始め、次第にインターネットに慣れたユーザーが増えてゆき、そんな人の中に「自分のホームページを作りたい」という需要が生まれ始めます。当時からTripod、toktokなどのサービスはありましたが、一番主流だったのがこのジオシティー。それの理由は、「無料」であったことと、「始めるのが簡単」だったことなのですよね。
当時のインターネットサービスはたいていが有料で、プロバイダ代も月2000円くらいが普通、しかもテレホーダイじゃなければ従量制、それなのに速度はISDNでも64Kbpsという時代でした。つまりお金がかかるのが当たり前だったのですよね。また、プロバイダでもホームページスペースを用意しているところはありましたが、そこも追加料金がかかる場合が多かったです。そこで無料のサービスというのは、当時は新鮮でもあり、また魅力的だったのでうよね。
さらに、ほかのサービスではFTPでのアップロードなど、初期からそれなりの知識が必要でしたが、ジオシティーにはウイザードがあり、今のブログと同じく簡単なものならすぐに構築できた点も大きかったと思います。
ちなみに当時のホームページは、CSSでさえほとんどなく、HTMLベタうちでテーブルを駆使して構築しているサイトが多かった様に思えます(フレームでさえ嫌っている人がわりといた)。でも、それ故に自分でデザインを構築する必要があって、それが味になっていました。もちろんいいものもあれば、個性が溢れまくっているものも。そんな時代の名物のひとつが伝説の愛生会病院かもしれません。
■愛生会病院(たぶんブラウザに負担をかけます)
私もはじめてHPを構築した時はジオシティーズでしたね。しかしゲームやマンガ系の趣味カテゴリのサーバは空いているスペースが少なく、キリのいい番号が空くのを狙って取りにいったものです。ちなみにそのサイトはゲーム系でしたが、今探しても無駄です。というのは、当時のジオシティーズでは、「2~3ヶ月更新がないと消滅する」という掟があったので。HDDの容量も少ない時代でしたからね。たぶん借りられるスペースの大きさは20Mくらいだったと思います。
「和塩」「米塩」
さて、こういったHPは趣味にも使われましたが、一部ではアングラにでも使われていたようです。で、最初の海外のジオが「米塩」、日本のが「和塩」なんて呼ばれていましたね。あと、「鳥」(Tripodのこと)とか「地球病」なんて言葉もありましたっけ。
■参考:地球病 – 通信用語の基礎知識
でも、当時アングラ扱いされていた告発系サイトの情報が簡単にブログに書かれていたり、MADがニコニコ動画で見られたりすると、時代が変わったなあとオッサンは思うわけで。
ジオシティーズ騒動
あと、ジオシティーズ騒動なんてのもありました。これはいきなりジオシティーの規約が変わり、「アップロードした時点でコンテンツに関するモロモロな権利を無条件にYahooに認めるだけでなく、著作人格権をも行使してはいけない」と読み取れる条項が足された件です。ある意味それ以後もネット上で弾に起きる、いきなり規約改定をして騒動になるパターンの先駆けのように思えます。
■ジオシティーズが新規約で利用者のコンテンツを横取り – スラッシュドット・ジャパン
ジオシティーズの衰退とブログサービスの台頭
そんなジオシティーズですが、2000年代に入るとほかの無料サービスも増え、さらに容量もジオより大きくなってきました。そして慣れた人はプロバイダのサーバに移るなどの傾向も見られるようになりました。決めてとなったのが、2000年代前半にブログが台頭してきたこと。これにより、初心者の導入口がそちらになってしまい、またその利便性からブログに移転するサイトも増え始め、ホームページスペースの需要自体が縮小してゆきます。
そして今に至ります。Yahoo!でもYahoo!ブログのほうがクローズアップされて、現在ジオの場所を探すのにちょっと手間どりました。しかし日本のジオはまだあります。
■Yahoo!ジオシティーズ – 容量50MBのホームページスペース。日記やゲストブック、アバターなどの機能。
ただ、もしかしたら日本のジオシティーもそのうち役目を終えて消滅するのかもしれません。ただ、それはどのWebサービスにも言えることでしょう。むしろポータルとして10年生きのこっているYahooとかのほうが希な存在なわけで。
でも、ジオもたとえ消えても一時代を築いたものとして、記憶には留めておきたいなと思うわけです。
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ベッコアメ・インターネット等ネット発展期の独立系ISPはどうなったか
- 2009-02-01 (日)
- インターネットの歴史

最近問題が発生したリンククラブは、現在こそレンタルサーバー事業やドメイン管理事業が主だったようですが、かつてはマックユーザー専用のインターネットプロバイダでした。
■参考:リンククラブ被害報告まとめ – リンククラブサービス一覧
今でこそインターネット・サービスプロバイダ(以下ISP)はYahoo!BB、OCN、ODN、@niftyやBIGLOBEといった大会社やその会社と資本関係にあるところ、もしくは通信会社の系列がほとんどを占めるようになってしまいましたが、90年代のインターネット発展期にはまだまだこのような独立系、もしくは出資だけ受けていて独立系に近かったISPというのは非常に数多く存在しました。
では、それらのISPがどうなったのか、それらISPの歴史を追いつつ見てみましょう。
日本のインターネットにおけるISP事業の誕生
国内において、それまで隆盛を誇っていたニフティサーブやPC-VANといったパソコン通信の陰からインターネットの芽生えが始まったのは、1990年代前半。その折、少数のISPが生まれます。
日本最初の商用ISPは1992年設立のAT&T Jens、そしてIIJが日本企業初の商用ISPとしてサービスを開始します。それに続いて、ニフティやPC-VANの運営元であるNECも、ISP事業を開始し、日本におけるインターネットが芽生え始めます。ただ、当時は前述のようにまだまだパソコン通信が主流で、インターネットはコンテンツ的にも少なく、参加者も少ないものでした。
しかし、Windows95が発売、それが後にインターネットへの対応を強化することにより、インターネット普及の土台が生まれ始めます。
独立系ISPの誕生
そしてそのインターネット普及の流れを見越して、大手通信会社やメーカーに属さない独立系のISPというのが1990年代中盤当たりから誕生し始めます。
その先駆けとなったのが、1994年に設立されたベッコアメ・インターネット。
1994年12月に設立されたこの会社は、その後インターネットが普及してくるとメーカー系とは違う存在感で加入者を増やしてゆきます。ちなみに1996年にはユーザーがわいせつ図画公然陳列容疑でそのサーバを持っていたここが国内で初めて強制捜査を受けるということにもなっています。今ではそれだけで強制捜査とは考えられないことですが、当時は全くと言っていいほど前例がなかったのですよね。
そしてWin95が爆発的な広まりを見せ、インターネット普及の土台が出来てくると、メーカー系、独立系問わず多くのISPが誕生してきます。独立系で主なところは上記のベッコアメ・インターネットの他にリムネット、インターネットWIN、ドルフィンインターネット等がありましたね。
当時のISPの宣伝攻勢
余談ですが1990年代後半のISPの宣伝攻勢はすさまじく、正直ウザイくらいでした。パソコンを買えば必ずそのパソコンを販売したメーカー系列のISPでの契約アプリがプリインストールされていましたし(これが初心者の頃だからそのまま入ってしまうのですよね。私もWin95のNEC製からBIGLOBEってのが最初だったし)、パソコン系の店に行けばセットアップCDがついてきたり、パソコン系雑誌には収録CD内にそのセットアップアプリが入っていたり。
ちなみにこれは日本だけではなく、アメリカでも当時隆盛を誇っていたAOLがあまりにもCDを配りまくるので、「CDをAOLに送り返そう」なんてキャンペーンが展開されていたらしいです。
特に多かったのは、Q2サービスを利用していたインターQだったような。どの雑誌の付録CDでも絶対入ってましたしね。
ここまで宣伝攻勢が激しかったのは理由があり、ここで契約を結べば月額使用料として収入が確保されますが、ここで契約が少なければそのまま収益が悪化して潰れてしまうということで必死だったのですよね。しかもこの当時のISP料金は電話代、NTTへの代金含まずで2000円以上というのが一般的であり、且つ従量制によりそれ以上のお金がかかる場合もわりとあったので、かなり一人当たりの収益もよかったことが予想されます。
ちなみにこの宣伝攻勢は2000年を過ぎるとADSLに、そして現在では光回線で同じことが繰り返されているような。正直最近うちに何度もかかってくる光とかケーブル回線のセールス電話がウザイです。
無料ISPの存在
ついでにこの頃のプロバイダには、もうひとつ特徴的なものがありました。それが無料プロバイダ。それは基本接続料を無料にして、ユーザーを獲得するという方法。有名なところではオン・ザ・エッヂに買収される前のライブドアや、プロバイダーZEROなどがありました。
ビジネスモデルとしては、広告による収入や基本接続料以外での収入を見込んでいたようです。
その後どうなったかは、以前書いたこちらをご参照ください。
■劇的なCMで有名になったプロバイダーZEROはどうなったのか – Timesteps
こういうベンチャーが非常に数多く出てきて、「ITバブル」とか「ビットバレー」なんて用語が使われるようになったのでしょうね。
ADSLの普及とISPの淘汰
しかしながら、2000年代に入るとADSLやCATVが急速に普及してきます。これらは通信スピードが速いだけではなく「常時接続」と「定額」がそれまでの電話回線におけるサービスよりもはるかに魅力的だったために(それまでも定額プランというものは一応ありましたが制限が多く高かった)。ADSLへの移行がすさまじい勢いで進みました。それはNTTが普及させようとしてきたISDNを一気に飛び越すくらい。
しかもYahoo!BBの登場あたりから低価格競争が始まり、ISPもそれに晒されてひとりから取れる金が少なくなってゆきます。
すると大手は薄利多売でなんとかなるのですが、小中のプロバイダがそれに負け、どんどん淘汰されてゆきます。
独立系ISPはどうなったか
そして2000年代半ばにさしかかり、ITバブルと言われたものが崩壊した時、それら独立系を含めた中小のISPは再編成の波にさらされます。そして経営統合、事業譲渡のほか、ISP事業を縮小し、ホスティングサービスに転化する企業も多くありました。具体的には以下の通り。
★ベッコアメ・インターネット
2004年4月、営業権をGMOインターネット株式会社に譲渡。
★リムネット
1998年8月 米PSINet社に買収。その後、2001年1月 米Inter.net(インタードットネット)グループの一員になり、社名をインタードットネット株式会社に変更。その後いろいろあって、2004年3月 株式会社イージェーワークス(ピーシーデポコーポレーショングループ)に買収される。
UUCPによる接続サービスを国内で最後まで提供していたが、2007年10月12日に廃止。
★インターキュー
2001年 、グローバルメディアオンライン株式会社(GMO)へ商号変更。現在も存続。そして前述のベッコアメやプロバイダーZEROの事業などを買収している。
★ZZZインターネット
インターキュー同様ダイヤルQ2利用のISP。2001年頃にサービスを終了。現在事実上の倒産。
★ワイワイワイネット
2001年にアクセスプロバイダ事業は撤退。
★Webnic
ビックカメラ系列のISP(ビックカメラに行く度にかなり宣伝していたので今でも名前を覚え出せた)。2000年8月くらいにOCNに移行。
★isao.net
ドリームキャスト登場とともに、ドリキャス用プロバイダとして存在したもの。しかしドリキャス撤退後、PC用ISPに転換。その後DTIに事業譲渡。名前は存続。
■株式会社ISAO : 会社情報 : お知らせ
■Bフレッツ・光ファイバー・ADSLならプロバイダーのisao.net
★カントリーインターネット
以下を参照。
■6年前にも起こっていたプロバイダの突然課金(カントリーインターネット問題) – Timesteps
ほかドルフィンインターネット、アルファインターネットなどは今でも営業しています(ただし後者は民事再生手続中)。
次の淘汰の波は……
こう見ると、結果としてバックに大手の会社がなかったところはなくなっているか、目立たなくなってきていますね。まあ、残念ながらISPってのは価格と速度以外に特色を出しにくいので、どうしても安く安定しているところに行ってしまうでしょう。
現在あるISP以外の様々なインターネットサービスも、そのうち淘汰の波にさらされてしまうものはたくさんあるでしょうね。ちなみにさくらインターネットは頑張ってください。このブログ、さくらのサーバなので。
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6年前にも起こっていたプロバイダの突然課金(カントリーインターネット問題)
- 2009-01-14 (水)
- インターネットの歴史 | ネット上のそれから

今、『リンククラブ』という会社がいきなり会員から一万円をクレジットカードなどの引き落としなどで徴収したことが問題として叫ばれています。
■ネット料金、予告なく課金…2万人から計2億円で苦情多発 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
■リンククラブ被害報告まとめ – トップページ
ここはインターネット普及期以前から「マックユーザー専門プロバイダー」という触れ込みでサービスを行っており、2000年以前は評判も良かったようです。しかしながら2000年以降はサービスも悪化し、退会する人も増えたとのこと。
そして今回、ネット上での話によると、その頃から無料サービスを放置していたユーザーでも、一度クレジット番号を教えていた人からは一万円を徴収していたという話です。
このニュースは現在進行形なので、経緯を見守ってゆきたいと思います。
さて、実はこの手の事件は初めてか、というとそうではなく、似たような事件が6年前にも発生していたのです。それを行ったのは「カントリーインターネット」というプロバイダ。
ネット発展期に存在したプロバイダー、カントリーインターネット
カントリーインターネットは、広島県で会員数千人を抱える地方プロバイダであり、インターネット普及期からあったものでした。今でこそ大手メーカー系のプロバイダがシェアを占めるようになってしまいましたが、2000年前後というのは地方の小さなプロバイダーでそこそこ人気があったりするところも存在していました。多摩地区のドルフィンインターネットとか(din.or.jpとドメイン名の短さに惹かれたのもある。ちなみに今でも健在です)。
で、カントリーインターネットもそのうちの一つであり、広島県あたりではそれなりに利用者もいたようなのですが、2003年6月2日、その会員に対して「プロバイダ料金を3倍に値上げする、問い合わせには一切応じない」と言う旨のメールを送りつけたとのこと。当時年間1万8000円だったらしいので、5万4000円になったというらしいです。
しかもそのメールには「お問い合わせにはお答え致しかねます」と、抗議を一切受け付けない分まで書かれていたようです。
もちろん、そんなことをされてはたまったものではありませんので、会員は騒ぎますが、それ以降電話はつながらず、記載されていた住所にも会社は存在しなかったとのこと。これは2ちゃんねる等でも話題になります。
■参考:カントリーインターネット問題
いきなりの事業停止
そしてリンククラブの件と同じように、公的機関などへの抗議も入ったらしいです。で、上によるとそういった期間やマスコミには説明があったらしいですが、会員には一切説明はなかった模様。
その後6月26日17時頃、突然回線が繋がらなくなり、そこのプロバイダを使ってネットに繋げていた人は使えなくなり、ホームページを持っていた人も消されてしまったようです。
その後、その会社がどうなったかについてはちょっと調べてもわかりませんでした。おそらくですが、倒産して逃げられたのではないかと(当時会員だった人などいれば、情報ください)。ただ、前述の参考ページからすると、少なくともサーバは復旧していない模様です。
ちなみに、その会社のドメインはwww.potato.or.jp、あと当時ちょうどorからneへの移管時期だったのでwww.potato.ne.jpもそうだったようですが、調べてみたら現在、neのほうは旭川のケーブルテレビ局、orのほうは都内の保育サービスになっていました。まあ、potatoが一般名称ですから、空いたらすぐに取られるでしょうね。両方とも、カントリーインターネットとは全く関係なさそうです。
でも、気をつけないと昔何かが起こったドメインを購入してしまうなんてこと、これから起こりそうだなあ。
そして、また起こってしまった類似事件
しかし、これでネットサービスというものの不安定さ、そして課金の不安定さについて学んだはずなのですが、忘れたころに起こってしまいましたね。
ちなみに実際にその3倍料金を徴収する前に会社がなくなってしまったみたいなので、カントリーインターネットの事件では調べた限りは金銭的実害はなかったみたいですが(それでもいきなりHPが消えた人はプライスレスな大損害でしょうが)、リンククラブの件は実際にお金が引き落とされた人がいるみたいなので。
さて、これから現在起こっている問題の方がどうなるのか。ことによるとインターネットという空間でのサービス、そしてネット課金においての信用をなくし、これからのネットサービスに多大な影響を与えかねないので、この問題の推移を見守りたいと思います。
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ギコ猫・のまネコ商標登録騒動はそれからどうなったのか
- 2009-01-04 (日)
- インターネットの歴史 | ニュースのそれから

あけましておめでとうございます。今年も出来る限り更新してゆきたいと思いますので宜しくお願い致します。
さて、年始早々このようなニュースが。
■2ちゃんねるがひろゆきから謎の会社「PACKET MONSTER INC.」に譲渡完了、その正体を探る – GIGAZINE
これについては以下でちょっと触れているので、そちらをご参照ください。
■2ちゃんねるの海外企業譲渡のメリットは何か。そして何が変わるのか – 空気を読まない中杜カズサ
というわけなので、せっかくですから今日は過去に2ちゃんねるで起こった事件から。
アスキーアート文化は古くから存在した
ネットを利用していると、よく文字で構成された絵、すなわちアスキーアート(以下AA)を見かけることがあります。その中には1行の顔文字はもちろん複数行を使ったものも多数存在します。
この文字で絵を示すという文化は80年代のパソコン通信時代からあるもので、古くはワイデス40(原型は=■●)でしょうか。しかしインターネット普及期、掲示板も広がるににつれてもっと複雑な、複数行を使った文字絵、すなわちAAが誕生してきました。
そしてインターネットにおいて2ちゃんねるやあめぞう、あやしぃわーるどなど掲示板が大量発生した時代に、これらのAA文化はかなりの盛り上がりを見せました。そしてその中から派生して、「モナー」「モララー」「ギコ猫」といったキャラクター的性質を持つものも誕生します。
それぞれは作者不詳となっており、だいたいの生息場所しかわかっていません(それも諸説あり定まっていない)。それぞれの経緯は長くなるのでそれぞれのWikipedia項目をご参照下さい。
■アスキーアート – Wikipedia
■モナー – Wikipedia
■モララー – Wikipedia
■ギコ猫 – Wikipedia
■しぃ – Wikipedia
多数登場したアスキーアート作品
そして2000年代始めには、このようなAAを使ったものが2ちゃんねるなどで大流行し、1スレのみのイラストではなく、中には大長編を作る人まで現れました。そしてキャラクターも新しく生まれたり派生したり、また時事のものを取り入れたりでどんどん増加してゆきます。
■参考:AA大辞典(仮)
このAAの作品群というのは非常に多岐にわたり、長編も作られました。また、この時代はちょうどフラッシュの全盛期と重なるのですが、ここでAAを使った作品、もしくはAAをイラスト化した作品も非常に多く現れました。有名なところでは「しぃのうた」「2ちゃんねる大王」「ち○こ音頭」などなど。
■参考:2ch全AAイラスト化計画
■参考:(新)モララーのビデオ棚
■参考:Flash黄金時代の歴史【Part01.創生期編】(2000年~2001年前半)‐ニコニコ動画(ββ)
つか、八頭身モナー誕生時に大爆笑祭りになったのをリアルで体験した人って、今のネットではどのくらいの割合なんだろうなあ……
ギコ猫商標登録問題
さて、このようなAA全盛期であった2002年3月12日、2ちゃんねるで突然話題になってことがあります。それはAAの中でも有名なもののひとつ、ギコ猫が2ちゃんねると関係ない企業に商標登録をされたということが明るみになったからです。出願したのはおもちゃメーカーのタカラ。そしてAA板を中心にして、このことが騒動となります。それに対する反対AAやフラッシュも作られました。
ギコ猫 – Wikipediaによりますと、その後ひろゆき氏がタカラへ質問状を送る等したことで、6月3日に商標登録出願は取り下げられたとのこと。
しかし、この事件で「AAの権利は誰にある」的なことが表面化することになります。その結果、AAを2ちゃんねるで商標登録するとかさまざまな案がなされましたが、結局法律上の難しさからか、その実現に至らないまま時が過ぎてゆきます。あと当時の2chの共同運営者だった山本一郎氏の会社イレギュラーズアンドパートナーズが商標登録出願していたようですが、最終的には拒絶査定となったようです(参考:モナー – Wikipedia)
この後も、ちょっとした権利問題などがありましたが、その後はこの事件の影響からか登録をする人もおらずに、時は流れてゆきました。
のまネコ商標登録問題
そして数年後の2005年、この時にPya!で公開されたとあるフラッシュが話題となります。それは洋楽とイラスト化されたAAを組み合わせたMAD。
このフラッシュと同時に歌もブームとなり、この歌い手が来日したりまでします。しかし、ここで一つの問題が起きます。
9月1日、そのCD発売元のエイベックスが、そのフラッシュで使われていたAAを「のまネコ」として商法登録したのですが、これは実質モナー。つまりまたもやAAキャラが商法登録されたと話題になりました。それは前にも増して複雑な要素があるのですが、細かい経緯は以下に詳しいです。
それからAAには影響はなく、現在に至ります。
何故、AAの商標登録は行われたのか
企業の側から見れば、実はそれに対しての商売をするにあたりそれがほかで商標登録をしていない場合に商標登録をするということはさほど不自然なことではありません。というのは権利を独占するためというよりは、そうしないと商品を発売した時に悪意の第三者が商標を登録し、使用料をその企業に迫る可能性が高いので。まあサブマリン特許とちょっと似ているような感じ。つまり自己防衛のために商標登録をしないと安心して商品化が出来ないわけで、するのはある意味当然なのですよね。
ただ、それが自社で開発したものならよかったのですが、AAの場合話が変わります。それはAAがネットを使用する人の共有財産という思想があったからではないかと。それに対して(たとえ企業として独占する意思はなくても)商標という形で手を出すことは、ユーザーからすれば今まで同様自由に使えなくなるということを非常に危惧していたために、あのような抵抗になったという面はあると思います。ですので企業側の悪意というよりは、ネットが発展期で、その意識というものが企業側にわかっていなかった人が多かったことによるものかなとも思えます。
ちなみに現在、初音ミクや東方キャラなんてのも同じようにネットで広く使われていますが、こちらは比較的広範囲で商品化されたりもしています。これは著作権の在処(クリプトンやZUN氏)がはっきりしていて、且つその人が二次創作においては大幅な面で自由ということを公言しているから両立できるのでしょう。その点AAキャラというのは誰が作ったかわからない(しかも何回も改良されているので、それを追うことはほぼ不可能)という特殊なものだったわけですね。
AAキャラの変遷
しかし現在、モナーやギコ猫といったAAの使用される頻度はかなり減りましたね(ただ、名前は出てこないにしても、顔はよく使われますが)。ただ、AA自体はちょっしゅう使われており、やる夫はどの板でも必ず見るくらいになっていますし、やる夫で学ぶシリーズも作られています。そして、ニコニコ動画でもあの形式にもかかわらず職人が複数行を使ったAAを貼り付けることさえあります。
おそらくやる夫もそのうち過去のものとなるでしょうが、新しいAAは生み出され、掲示板がある限り、いや、文字で示すところがネット上である限り、続いてゆくのでしょう。
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2000年前後、Leaf・Keyのゲームがインターネットに及ぼした影響
- 2008-12-14 (日)
- インターネットの歴史

今日のは前に『空気を読まない中杜カズサ』で書いたのと被るところがあるのですが、こちらでまとめ直しという感じで。
2000年前後のインターネットとエロゲー
西暦2000年前後のインターネット、一応普及し初めてはいましたが、まだまだ発展途上だった時代。この前紹介したテキストサイトの「終る世界」「ちゆ12歳」なども、このあたりで誕生しました。
さて、このあたりでは、インターネットにおいてあるものがよく持ち出されていました。それはエロゲー。とりわけLeaf、そしてKeyというブランドのゲーム。
1996年以降、それまでPC-98が主流であったエロゲーはWindows95の発売、そして普及によりだんだんと各種メーカーで共通のDOS/V機へと移行してきました(そういえばPC-AT互換機って言葉も滅多に聞かなくなったなあ……)。そしてその時代、PC-98の末期「ビジュアルノベル」という「かまいたちの夜」と同じようなテキスト形式のゲーム『雫』をリリースし(1996年1月26日発売)、その独特のストーリーと演出、音楽などで注目を浴びていたLeafというブランドがありました。そのビジュアルのベルシリーズの続編『痕』(1996年7月26日発売)も、同じくストーリーや演出、そして音楽のすばらしさから注目を浴びます。そして1997年5月23日に出た『To Heart』で人気が爆発します。
当時は、ちょうどWindows95がバージョンアップでインターネットへの対応をし始め、インターネットが普及し始めた時代でした。そして自分の趣味を語るための場としてインターネットが使われ始めましたが、その折それらのエロゲーについて語りたい人が増え、よくネットで話題となっていました。
そしてもう少し経った頃、1998年5月29日にタクティクスから発売された「ONE 輝く季節へ」というゲームが発売されました。それはエロゲーにはそれまで少なかった不思議なストーリーと「泣かせる」要素において、一気に話題となります。そしてそのスタッフが移籍して設立したブランドKeyから1999年6月4日『Kanon』が発売され、これも非常に話題となります。
インターネット上で盛り上がったエロゲー文化
当時はメーカーにも掲示板があり、そこで各種交流が交わされていたのですが、ユーザーの中には、自分でホームページを立ち上げて、それらのファンサイトを作る人も増えました。そのコンテンツは、自作のイラストだったり、その作品の分析論だったり、キャラクターのファンサイトだったり。昔からやっているサイトさんの過去コンテンツを見ると、それ系のレビューサイトやSS、イラストサイトだったというページがそれなりにあったりします。
それ以外にも、「○○(キャラ名)同盟」とか、ゲームのキャラクター毎のファンサイトが作られ、そこに参加して会員番号をもらい、そこメンバーでオフ会をするようなこともあったようです。たとえば『ONE 輝く季節へ』の里村茜というキャラのファンクラブとして「わっふる同盟」なんてのがありました(というか現存していた。すごいなあ)。
あと、当時からフリーソフトを作成する人はいたのですが、それらのゲームに出てくるキャラの名前などを使ったツールも数多く存在していました「詩子さん」「なぞじゃむ」等々。あと、Winampなど各種スキンでも、それらのゲームの素材を使ったものがありましたね(これは著作権的にはかなりグレーなのですが)。
また、音楽においてもこれらの影響がありました。当時自分でMidiなどで音楽を創作する人が増えていたのですが、その曲として、これらLeaf,Keyの音楽をアレンジする人がわりといたのですよね。あと「BM98」という音ゲーツールがあったのですが、それの素材に使われることも多々ありました。ちょっとネットからは外れますが、同人の世界においても、当時「Leaf・Key」というジャンルは、男性向け(3日目)の最大ジャンルとなります。ちなみに絵のみならず同人音楽でも、当時からボーカル入りの曲が出始めていたのですが、この系統の曲をアレンジしたものを発表していたサークルが多くありました。その人たちの一部はプロとして作曲したり、歌い手はエロゲーの主題歌を歌うようになっています(中にはKeyの曲を担当した人も)。
インターネットでこれらが盛り上がった背景
さて、どうしてそこまでネットにおいてエロゲーの話題が主流になったのか。パソコンゲームが出来る人というのは、もちろんパソコンに触れるわけで、携帯電話もネット対応していなかった当時、エロゲーのユーザーが一番ネットに近かったからというのもあるでしょう。そして当時はまだネットは隠れた存在だったので、エロの話題をおおっぴらに出しても抵抗がなかったというのもあるかもしれません。PC-98時代のニフティサーブなどのパソコン通信でもエロゲー系のフォーラムはわりとあったようなので(たとえばYU-NOの話題とか)、ある意味自然な流れだったのかもしれません。
あと、二次創作やファンサイトに対して、これらのメーカーが寛容だったということもあります。ファンサイトは歓迎、そして同人などでも趣味の範囲ならばOKという態度が多く、メーカー掲示板にもそのガイドラインが書かれていました。当時、同人系で著作権関連の事件が若干あり、不安に思っていた人もこれらを見て安心してファン活動が出来たという点もあるのではないでしょうか。もちろんそれらの作品が好きだというのが前提としてありますが。
「SS」の文化
これはサイドストーリー、もしくはショートストーリーと呼ばれるもので、要はその作品の本編に書かれていないストーリーを創作して公開するというもの。これの書き手が非常に多く、それぞれの作品の投稿サイト、リンクサイトもありました。また、メーカーにも「SS掲示板」が存在していて、そこでの投稿数は1日十何件にも上る時がありました。もちろん質はそれぞれですが。
ちなみに私もそれを書いていました。当時、数十ヒット程度でしたが「こんな見に来てくれるなんて」と感動したのを覚えています。ただ、もうどんなのを書いていたか忘れましたし、そのホームページのアドレスも覚えていません。つか、さすがにあの頃の文章を見たくはありません。悶絶すると思いますので。おそらくネット上のどこかにさまよっている可能性はあります(つか、TripodやGeocitiesならすでに消えている可能性の方が高いですけど)。
Leaf・Key二次創作の縮小
しかし、2002年あたりから、そのようなSS、そしてファンサイトもどんどん減少してゆきます。理由はいくつも思いつきます。まずKeyでは2000年9月8日の『AIR』から次作『CLANNAD』までの発売期間が4年開いてしまい(2004年4月28日発売)、さすがにそこまで勢いが続かなかったこと。 ただ、同人で話題となっていた『月姫』のファンサイトが増えて盛り上がってはいたのですが、かつてのようにインターネット全体を巻き込む勢い、とまではいきませんでした。
一番の原因は、このあたりからインターネットも普及し、とても全体をエロゲー文化、オタク文化で覆い尽くせるものではなくなってしまったこと。あと、インターネットユーザーでも娯楽が多様化し、それぞれの趣味に分散してしまったため、以前のように何か一つのゲームに対して盛り上がるということはなくなったせいかもしれません。
正直、この時代にLeaf、Keyのゲームで盛り上がっていたというのが、特殊な条件がいくつも重なった、奇跡的な時代だったのでしょうね。
各種サイトはどうなったか
たしかに10年近くが経ち、盛り上がっていたところでも多くは閉鎖してしまいました。また、メーカーのオフィシャル掲示板でも、SS投稿掲示板どころか、掲示板自体がその役割を終えています。SSに関しては各種リンク集も閉鎖したところが多いです
■りーふ図書館(書庫)(存続)
■かのんSS-Links(終了)
しかし生きのこっているところはありますし、新たに作られたものもたくさんあります。前述のように同じ流れを汲んでニュースサイトやブログをやっている人もいるでしょう。
そして昔のようにひとつの作品に集中というのではないけど、SSは数多く存在しています。以下のサイトを見ればわりと盛り上がっているようですし。
■二次創作データベース
■TYPE-MOON SS Links
たしかにあの全体を巻き込む流れはなくても、何かの作品を愛してそれに対してインターネット上でリアクションを起こすという意思は、ずっと受け継がれているのではないでしょうか。pixivだってあれだけ盛り上がっていますしね。
……
■参考:Leaf・Keyのゲームがインターネット上で盛り上がりを見せた奇跡的な時代 – 空気を読まない中杜カズサ
■参考:SSは何故減ったのか。そしてSS書きはどこに行ったのか – 空気を読まない中杜カズサ
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