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3DOはあれからどうなったのか

 3DOという名前をご存じの方はかなりいらっしゃると思います。それは1995年あたりでプレイステーション、セガサターンと次世代ハード争いを繰り広げたゲームハードとして。あれは松下電器が販売したために、初期はそれらと張り合うか? とも言われていました。しかしいろいろな要素から失速し、所謂負けハードとなってしまったものです。
 では、そもそも「3DO」とは何だったのか、そして3DOの発売元は今どうなっているのかを今日は書いてみることにします。

3DO社の誕生とゲーム端末発売、そして早すぎる衰退

 実はタイトルはあえて3DOとつけましたが、正確にはりゲーム機の名前は「3DO REAL(もしくは3DO TRY)」で、その開発元の名前が3DO社、もしくはマルチメディア端末の規格名を3DOと言うので、ゲーム機のみを指すのではありません。さて、この3DO社ですがアメリカの大手ゲームソフト開発会社でもあるエレクトロニック・アーツ(通称EA)の創始者の一人トリップ・ホーキンスが設立したものです。EAは海外市場では非常に大きなシェアを持つ会社であり、その存在は日本のスクエニ以上です。従って、このハードには、EAのソフトが供給されるという見込みで、勝算は十分あったのです。ちなみにその頃の海外市場は、任天堂とセガがシェアを持っていたことを書いておきましょう(メガドライブは、海外ではかなりのシェアになっていました。それがサターンの不幸にも繋がるのですが、長くなるので割愛)。
 そこで日本の松下電器は、このライセンス提供を受けて、日本での販売をし始めます。ちょうどこの頃は任天堂のスーパーファミコンが末期となってゆき、セガが新ハードセガサターン、そして任天堂との共同開発がとりやめになったソニーが自社でプレイステーションの発売の準備をしていた時期です。当時、ゲームハード市場というのは非常に盛り上がっていたので、ここのシェアを任天堂にばかりとらせておくものかと、家電からの参入が相次ぎました。このほかにもピピン@なんてのがありましたが……それについては黙して語らず。
 そして松下電器も、その全国にある販売網を生かして発売すれば十分商機があると見て、このライセンス提供でゲームハードを販売して、そこに潜り込もうとしたと考えられます。そして1994年3月、ほかのハードより一足先に次世代ハードとして発売されます。
 ただ、先行の利点を生かせず、売れるソフトが全く出なかったために、すぐに自社で『バーチャファイター』などの人気ソフトがあったセガサターンや、こちらも新規参入ながら、ナムコなどをライセンシーとして取り込んだプレイステーションに抜かれてしまいます。その後、『Dの食卓』や『スーパーストリートファイターIIX』を出すものの、逆転には至らず、そのまま衰退してゆきました。

3DOの敗因

 さて、3DOの敗因は何だったのか。それは上で書いたようにキラーソフトが何もなかったことが一番でしょう。特に海外では有利に働くEAのメリットも国内ではほとんどないというのもあったかもしれません(とはいっても、海外でもあまりメリットとならなかった感じですが)。それと、「インタラクティブ・マルチプレイヤー」という点を高らかに唱いすぎたってのもあるでしょう。歴代ハードはゲーム機否定に走ると、ソフトを提供するサードだけではなくユーザーからもそっぽを向かれるという法則は、ここらへんから始まったのかもしれません。しかし日本の松下はあくまでライセンスを受けているだけだったので、こういった方針にほとんど口出しをすることが出来なかったというのが一番痛いでしょう。

 ただ、コナミから『メタルギア3(仮)』が登場する予定もあったようです。これは後の世界的人気になったソフト『メタルギアソリッド』になりますが、もしこの3が出ていれば、状況が少しは変わったかもしれないなんてことを思います。

 ■参考:3DO - Wikipedia

 ■参考:3DOのゲームタイトル一覧 - Wikipedia

3DO撤退

 そして国内、海外共に3DO社の業績は悪化、1995年末に3DO社から松下電器が事業を受け継ぎますが、もはや劣勢となったものを覆して、PS,SSに立ち向かう力は残っていませんでした。そして1996年6月28日、「井手洋介名人の新実戦麻雀」(カプコン)を最後に、ソフト供給が止まります。
 ちなみにこの頃、3DOに継ぐ次世代のハード「M2」についても、松下は3DOから譲渡されて開発を続け、それにあわせて『Dの食卓2』も開発されたといいますが、M2は家庭用ハードとしての開発の中止を発表します。

3DOの有名人

 ちなみに、3DOが生み出した人物としてはDの食卓のディレクターである「飯野賢治」と、沢尻エリカの恋人としてのほうが有名な「高城剛」の両氏がいます。

 ■飯野賢治 - Wikipedia
 ■高城剛 - Wikipedia

 評価は難しいところなので(特に飯野氏)、ここでは書かないことにします。

その後の3DO社

 さて、アメリカの3DO社ですが、その後セガサターンやプレイステーション、PC用のソフトを開発、発売していたようですが(代表作:マイト・アンド・マジックシリーズ)、2003年5月にとうとう連邦倒産法第11章を申請し倒産しました。資産はオークションにかけられましたが、その時にはマイクロソフトやナムコ米国法人など7社が名乗りを挙げたたようです(結果は不明)。
 ちなみに前述のマイト・アンド・マジックはユービーアイソフトが130万ドルで版権を買い取ったようです。

3DO以下のハードなんていくらでもある

 この時代の負けハードというと、どうしてもセガサターンに目がいってしまいますが、陰ではそういった注目も集まらない負けハードが存在するのです。ピピンアットマークなり、プレイディアなり(とはいってもこれは子供用玩具かな)、アタリジャガーなり。そう考えると、Dの食卓などを生み出しただけでも、3DOには十分存在意義があったのかなと思います。

  

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