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Timesteps
酒田短期大学はそれからどうなったのか
- 2009-06-21 (日)
- ニュースのそれから

大学淘汰
最近とても忙しくて、更新がどのブログも滞りがちになっています。すみません。まあなんとか最近は隙間にネットを見るだけの余裕くらいは出来ていたので、ニュース見たりブクマとかしているのですが。
で、その中のひとつにこんなものが。
■asahi.com(朝日新聞社):兵庫の聖トマス大学が学生募集停止へ、閉校の可能性も - 関西住まいニュース
■NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース-内外の事件・事故や社会問題から話題のニュースまで
ここ最近になって、大学の募集停止が相次いでいます。しかし似た様な動きは数年前から存在しました。特に短大においては数年前から関連大学、またその他大学への合併(事実上名前が無くなるところ多数)、それに募集停止が相次いで起こっていました。
■大学・短大増える募集停止 - 朝日新聞(2003.3.13)より
■*募集停止・破産アーカイブ: 大学職員.net -Blog/News-
■参考:Category:日本の大学 (廃止) - Wikipedia
■参考:Category:日本の短期大学 (廃止) - Wikipedia
ただ、15年前位をピークとしてそれから日本の受験年齢人口がどんどん下がるので、大学や短大が淘汰されるということはその当時から言われていました。それが現実のものとなっただけでしょう。まあ景気の悪化がそれを加速している面はあると思われますが。
さて、この短大の閉鎖の中で、ひときわ注目を浴びたものが数年前に起こりました。その短大の名前は「酒田短期大学」。
酒田短期大学
酒田短期大学は、山形県の酒田市にあった短期大学です。1966年に東北短期大学として開学。しかし当時から経済科入学定員150人に対し入学生59名と定員割れを起こしていたようです。その後、1968年に酒田経済短期大学に改称。その後1973年に酒田短期大学に改称となります。その後経営法人が変わったり、女子短大になって元の様に共学に戻ったりといろいろ迷走していたようです。
留学生問題
そして2001年、この酒田短期大学のことが全国的なニュースになります。それは留学生問題。
この大学では、この数年前から入学者が激減し、一学年の定員が100人にもかかわらず、全校あわせて81人の学生しかいなかったとということ。そこで考え出したのが中国人留学生の入学。春と秋の2回、中国で選考を行い、 その前の秋に140人、その春に226人の中国人を入学させたとのこと。その結果、当時は2学年で352人が在籍していたそうですが、うち339人が中国からの留学生だったようです。
そして、10月から中国人265人が入学する予定でしたが、ここで仙台入国管理局から待ったがかかり、在留資格が認めらなくなります。つまり入学が不可能になったということ。その理由として先代入国管理局は「既に1学年の定員(100人)を超過しており、これから入学しても十分な就学活動ができるとは認められない」と定員の大幅超過を理由としています。
しかし定員だけではなく、もっと問題となっていたことがありました。それは事実上ここが日本の学生ビザでの日本への労働目的の入国の足掛かりになってしまったことです。留学した生徒の多くは授業に出席せず、労働による賃金獲得を行っていたようです。地元で大学の用意した中華料理店で働く場合もあったようですが、多くは首都圏に赴き、ひどい場合は風俗産業で働いていたということもあったようです(ちなみに「首都圏の4年生大学編入のため」という理由付けがなされ、それをサポートするというか理由付けのためか、都内に授業を放映するサテライトスタジオを儲けていたとのこと)。
入国管理局での差し止めも、それが影響していると思われます。
■メールマガジン 大学情報 No.0031 2001.11.1
■☆学生352人中339人が中国人!酒田短期大学
また、経営陣が、留学生に対して支出される数千万円に上る補助金を不正に得ていたという問題も報道されました(ソースが見あたらなかったので、それが事実かどうか確認出来ないのですが)。
経営難
そして、この問題もあり、且つ留学生の入学も非常に困難になったことから、同短大が経営難に陥ります。
一時期は、「みずほ学園短期大学」と校名を変更し、来年度の学生を募集していたらしいですが、当然集まるはずはなく、さらに経営のめどが立たなくなります。
その結果2002年10月、全教職員解雇の上、休校になってしまいました(ここで教員との未払い問題についても問題になっていた様な記憶があります)。
倒産、そして解散命令へ
そして2003年1月、酒田労働基準監督署により倒産認定となります。その後校地や校舎の大半が差し押さえられ、再開のめどがさらに立たなくなります。
そして2003年3月、最後の卒業生6人が卒業。この時にはすでに中国に帰国した留学生や、山形短大に編入した学生もいたとのこと。
事実上、大学の機能はこの日で終了します。
初の解散命令
その後、文部科学省による調査が行われた結果、私立学校経営に必要な財産がないことや、法人運営に必要な評議員会が置かれていないことなどの法令違反が解消されないなど再建の目処が立たないと判断され、大学設置・学校法人審議会に方針を諮り、了承を得た結果、解散命令をだすことが決定します。
そして2004年7月14日、文部科学省より学校法人瑞穂学園に対し、私立学校法違反により解散命令が出されました。これは国所轄の学校法人へは初の解散命令となりました。
■全国国公私立大学の事件情報: 酒田短大に解散命令へ 大学法人で初めて 文科省
その後の酒田短期大学(跡地)
さて、閉校した後どうなったのか、というのをネットで調べてみたら、それを掲載されている方がおられました。
利用はされず、そのまま廃墟のようになっているということみたいです。
大学・短大は変わってゆくのか
ただ、最初のニュースでもあったように、ここまでアレではなくても、閉鎖してしまう大学というのはこれから増えてゆくのでしょう。なるべくこのような廃墟になったりしないことを祈りますが。
社会の様々な様態も変わりつつある現在、このような変化に伴って、社会人入学の拡大などで必ずしも大学は20代前後の人が大半を占めるところではなくなったりなど、大学の存在意義も変わっていくところがあるのかもしれません。
——————–
◆他参考
■酒田短期大学 - Wikipedia
■国土コピペ省 Ministry of Land, Copy and Paste: 酒田短大に解散命令 文科省方針 国所轄法人では初
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PCメーカーのソーテックはそれからどうなったのか
- 2009-05-17 (日)
- ニュースのそれから

今、パソコンを売っていてそれなりにシェアを取っているメーカーというのはわりと限られていますが、2000年前というのはまだPC普及期であったため、今とは違うメーカーがいくつも存在していました。例えば外資系の「コンパック」や「ゲートウェイ」、そして国内では「ソーテック」。
1984年設立のPCメーカー「ソーテック」
PC歴が5年以上の人は、「ソーテック」の名前をご存じの方も多いと思われます。というのは5年前くらいまではわりと低価格帯のブランドとしてはかなり有名な存在だったのですよね。
この会社は1977年、大邊創一氏がマイコンショップ工人舎を設立したのが前身で、その技術部門が分かれて1984年4月にソーテックが設立されます。で、当初は主にOEMでPCの製造をしていたみたいです。
そして1997年、PC分野では当時韓国でサムスンやLGに続いて大きなメーカーであり、ソーテックの生産依託先でもあった三宝コンピュータの傘下に入ります。そしてここから「PC STATION」など、独自ブランドの国内販売を強化していました。
ちなみにソーテックは韓国メーカーだという話が有名になった後も何度か聞かれましたが、これは上の様に一時期韓国メーカーの資本下にあったためと思われます。
iMacの類似品「e-one」
さて、この2000年あたりの主流は圧倒的にWindowsとなっていて、一般層にはAppleのマッキントッシュの選択肢はほとんどないくらいでしたが、ここでAppleからあるものが発売されました。それは「iMac」。
それまでにないスタイリッシュなデザイン、手ごろな価格など数々の特徴が人気となり、一般層からも多くの購入者を生み出し一躍ヒット商品となります。
すると、WindowsパソコンでもiMacに似たデザインの商品が次々に出されることになります。そしてソーテックもその「e-one 433」という、ブルーのスケルトンボディを採用したiMacに似たWindowsマシンを販売することになりました。まあはっきり言ってしまえば、ほとんどWinパソコンのiMac。これは当時のWin系パソコン雑誌などにもよく掲載されていたりしたのもあって、話題になりました。ただ、一番の話題は「これ、訴えられるんじゃね?」っていう方向ででしたが。
そして予想通りアップルはソーテックをはじめとしたこれらの類似品を出したメーカーに対し、アップルが提訴して、1999年9月20日に東京地方裁判所により製造・販売を禁止する仮処分が下されました。
■東京地裁、e-oneに対し製造および販売禁止の仮処分決定 ※e-oneとiMacの画像有り
この騒動で業績が低下したため、キョウデンと資本・業務提携し、三宝の出資比率を下げたとのことです。
ソーテックの知名度上昇
しかし、この騒動はプラスに働いた面もあります。それはこれで低価格帯PCを売る「ソーテック」というブランドの知名度が上がったこと。2000年前後はパソコンの発展期でPCの販売戦争が始まっていましたが、当時のパソコンの平均価格はほとんどが大メーカーから出ているもので、20万以上というのが多かったのです。しかしそこでソーテックは低価格路線を打ち出し、10万円台やそれ以下のデスクトップパソコンを展開し、安価でPCを購入したいけど、自作まではできない人達の間で注目が集まります。
そして2000年には、ナスダックジャパン(現ヘラクレス)にも上場します。
ちなみに下のは、当時の雑誌に載っていた広告。

サポートの悪評
しかし、ソーテックについては低価格の評判に反して、あまりよくない評判もありました。それは壊れやすい、そしてサポートセンターになかなかつながらない等。ローコストのしわ寄せが品質管理とサポートに来てしまったということがよく噂されました。
実際、当時私が勤めていた会社でもテスト用の新PCをソーテックので入れたのですが、1日で動かなくなってそのまま送り返した経験があります。まあ初期不良はどのメーカーでもあるので一概にソーテックだけ飛び出て悪いとは言えませんが、サポートのつながり辛さは本当だったと思います.。
以下Wikipediaより。
品質管理の甘さ(これは後年ソーテック自身が認める事になる)により多くのクレームを引き起こし、ネット上(特に2ch)で『総鉄屑』と呼ばれる大騒動となった。サポートの電話も混雑して繋がらず、ソーテックも「電話1台しかないんか」と題する自虐的広告を出す程だった。
創業者社長退任&工人舎設立
そして、2000年代中盤になると、DELLなど海外メーカーも低価格路線をスタートして、ソーテックのアドバンテージがなくなってきます。といってもこの時代はパソコン需要がだいたい満たされたせいで、どのメーカーも売り上げを落としていたのですが。
そんな中の2004年、キョウデンが持ち株をロスチャイルド・三井物産合弁のアクティブ・インベストメント・パートナーズに売却し、創業者の大邊社長が退任します。
この時、大邊社長は工人舎という会社を設立し、そちらに移りました。これは前身の会社と同じ名前です。
ソーテック、オンキヨーの傘下→解散
その後もソーテックは低迷を続けます。打撃の決め手となったのは、韓国に設立した関連会社ソーテック・コンピューター・コリアの社長が業務商は委任を行ったことが引き金となり、業績が悪化して解散を決定したことでしょう。
結果2007年7月2日にはオンキヨーによる公開買い付けおよび第三者割り当ての引き受けにより、オンキヨーの子会社となることが決定しました。
そして2007年7月15日、オンキヨーに吸収合併されることで上場廃止。解散となります。
ソーテックブランドは残る
現在ですが、PCブランドとしてのソーテックは現在でもオンキヨーのものとして存続しています。
■パソコン(PC)・ノートパソコンなどの購入・通販サイト|ソーテック
また、工人舎は現在人気のネットブック市場でその名前をよく見かけます。
■製品情報 | KOHJINSHA ※トップページを全面フラッシュなので、製品ページ。
PCメーカーの栄枯盛衰
あと、最初にソーテックに出資していた三宝コンピュータも、昔は韓国3位と言われていましたが、2005年には倒産してしまいました。
■レノボ、韓国第3のメーカー「三宝コンピュータ」買収へ動く?:コラム - CNET Japan
あと、最初に挙げたコンパックはヒューレット・パッカードと合併(事実上の吸収)し、ゲートウェイもミニノートで有名なエイサーの子会社です。それと一番衝撃的だったのはIBMですね。PCブランドをレノボに譲渡するなんて、10年前では全く考えられませんでしたから。
あとそれらPCを売るパソコンショップもいろいろ変化し、ソフマップはビックカメラグループに、九十九電機は倒産してヤマダ電機傘下になりました。
PC関連企業ってのは浮沈が激しいのだなと実感させられます。
今は、ミニノートでそれなりに新しいメーカーが目立っていますが、数年後には様相は全く変わっているでしょうね。
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叶姉妹のアニメDVDはそれからどうなったのか
- 2009-05-13 (水)
- ニュースのそれから

叶姉妹のアニメ
ほんのちょっと前のことですが、こんなニュースがありました。
■ねとらぼ:このままでは1枚3万円 叶姉妹アニメDVD、予約受け付け延長 - ITmedia News
これは、芸能人である叶姉妹のアニメ化するという企画から。一見変わった企画ですが、Puffyなどアニメ化されているものはすでにあるので珍しいとまでは言えません。そういえばだいぶ前にはt.A.T.u.のアニメなんてものも計画されていたようですね。中止にはなったようですが。
■参考:PUFFY、米国でアニメ化!全米メジャー・デビュー作も発売に - CDJournal.com ニュース
■参考:t.A.T.u.はあれからどうなったのか - Timesteps
さて、この叶姉妹のアニメDVDですが、販売方法は特殊な方法がとられていました。それは「ギャザリング販売」という方式で、インターネットで予約者を募り、購入者が集まれば集まるほど価格が安くなるというものでした。最初は1枚3万ですが、1,500枚以上からどんどん安くなり、90,001 枚以上では2,625円になるという宣伝がなされました。
しかし、上のニュースの様に売れ行きは伸びず、予約終了間際になっても200枚前後しか集まらずに、それがニュースサイトなどにとりあげられました。
結局1枚3万円
で、予約延長も終わり、最終的にどうなったかというのは以下の通り。
■叶姉妹のアニメDVD予約受付が終了、価格は1枚3万円に
■【パーティやフィギュア特典も!】叶姉妹アニメーションDVDセット【ネットプライス】
販売数は265枚で、価格は最高額の1枚31,500円だったとのこと。
そして先着500名への特典されていた叶姉妹との “ABUNAIプライベートパーティー”への参加、大型フィギュアのプレゼントなど、は購入者全員がこれら全ての特典を受けられることになったとのこと。
ちなみにこういう場合、メンツのためにギリギリまで(499枚とかまで)水増しするのはよくあることなのに、それをしなかっただけでも立派だと思います。
プライベートショー開催
で、ネットで検索してたら、そのプライベートパーティに行ってきた方のレポートがありました。
■スリット備忘録 : ABUNAIプライベートパーティー - livedoor Blog(ブログ)
どうやら読ませてもらった限り、ファンならわりと充実したイベントのように思えます。3万でアニメDVDのみを買ったとしたら損した様に思えるかもしれませんが、アニメDVDつきのプライベートショーのチケットを買ったとすれば、ファンならそこまで損をした気にはならないような感じもします。
何故売れなかったのか
では、何でこのアニメは売れなかったのか、というかそもそもなんで叶姉妹のアニメを出そうと思ったのか。あくまで予想ですがおそらく、ターゲットのミスではないかと。芸能人のアニメ化自体は成功する要素はあります。実際Puffyのアニメはアメリカでわりとヒットしたとの話ですし。
■参考:PUFFY : 米で大ブレイク中のPUFFYのアニメがついに日本で放送開始! / BARKS ニュース
ただ、叶姉妹だと明らかにファン層がアニメの視聴層と重ならなかったのではないかと。おそらく実写の方ならもっと売れたのではと思えます(まあそのぶん制作コストもかかるでしょうが)。ただ、ある意味でこのアニメ、見たい気はします。
ちなみにテレビアニメのDVDでも、このような方式にしたらどうかなあとか思ったりしたのですが、1000枚を切るものが多数出ている昨今、よほどのものじゃないと最高額コースでしょうね。
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1990年代の有害コミック運動はそれからどうなったのか
- 2009-05-10 (日)
- ニュースのそれから

今、書店でマンガを買おうとすると、一般向けとは別に「成人コミック」というマークがついているものがあり、棚が隔離してある場合があります。このマークは1990年過ぎくらいからつけられ始め、1996年にある程度の形が統一されたようです。このマークについては以下に書きましたので、興味があればご覧下さい。
■関連:コミックの自主規制マークについて考えてみる - 空気を読まずにマンガを読む
さて、これがつけられるようになったきっかけは、1990年代過ぎに起こった「有害コミック運動」というものから。20代後半以降の方は覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。あの運動は今では考えられないかもしれませんが、本当にちょっとでも裸の出てくるマンガはなくなるのではないかと当時まだ成年コミックを見ていなかった歳の自分でも思ったりするくらいの勢いでした。
というわけで、その運動、及び規制に対する反対運動がどうなったのか、ということについて、書いてみようと思います。
M事件からの動き
『有害コミック運動』の流れというのが急速になったのは、1988~1989年に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、通称M事件(犯人である宮崎努の名前から)の発生があるでしょう。
ちょうどこの時期、埼玉にそんな遠くない東京に住んでいた私は、学校や家庭含め警戒態勢に入っていたのを覚えています。それほどインパクトがあり、痛ましい事件でした。
そして、この犯人がビデオやマンガを多く所持していたことから、ここに報道がクローズアップされることとなります。正確に言えば運動が加速したのはこの事件というよりは、この事件による数々の報道と言ったほうが正しいかもしれません。ただ、その中には事実に基づかずに偏見的な先入観でなされた報道も多いと聞かれます。ただ、事件のインパクトと報道の大きさ、さらに当時オタクがかなりマイノリティーであったためにそれがこのまま受け入れられ、いわゆるオタクバッシング的な動きに繋がります。
よくネット上で言われるのは、コミケに来たリポーターが「ここに●万人の宮崎努がいます」と言ったという話がありますが、これは真偽の程が確認できていません。ただ、そう言われるくらいマスコミなどでもオタクに対する風当たりが強くなっていたというのは事実でしょう。
■モラル・パニック - Wikipedia
■参考:ここに10万人の宮崎勤がいます 都市伝説 - 色々威
コミック規制運動始まる
さて、自主的か、それとも報道に影響されたか、この動きはマンガにも広まってゆきます。
犯人逮捕から1年くらいが経った1990年9月上旬、和歌山県田辺市の「コミック本から子供を守る会」という組織が、規制を求める運動を展開。ここから各地のPTAなどでコミック本規制運動の波が広まってゆきます。
そして翌年1991年の春にかけて、それらの運動は激しい盛り上がりを見せ、出版社などには苦情が相次ぎました。そこでこれらの会社は「成年コミックマーク」の表示とその策定基準の作成などに追われることになります。
同時に各自治体では、これらコミックの有害指定運動が盛んになります。ここで有害と指定されたものは今で言う成年コミック的なものだけではなく、大出版社(小学館、集英社、講談社など)から出されているものの対象になりました。それも少年誌から青年誌まで幅広く。ジャンプやマガジンに連載されているものまで対象となりました。また、永井豪氏、ジョージ秋山氏といった大御所まで入っていました。
この頃の大まかな流れは、以下のページにあります(それ以前、以後の規制についても触れられています)。
出版社の自粛
そして、連載作で指定されたものは、どんどんと連載が終わってゆきました。
最初のリンク先でも書いたのですが、これら有害と指定されたものの単行本は、大出版社からは廃刊となり、裁断されてしまった例がほとんどだったようです。また、そこまでにはならなくても次の増刷分から修正を余儀なくされた作品もありました。例外的に講談社の少年向けではないものには「成年コミック」のマーク付きで発刊されました(それで救われたのが安達哲氏の名作『さくらの唄』など)。
さらに既存のコミックの性的描写も自主規制という形でかなりなくなった感じでした。当時私はまだオタクでもないマンガを読む中学生くらいでしたが、その急激な変化に妙な違和感と「何かが起こっている」というような感覚を受けた記憶があります。
幸い時代が変わり1990年代後半になると、そこで廃刊となったものも復刊され始めました(遊人『ANGEL』、上村純子『いけないルナ先生』、山本英夫『おカマ白書』等)。
曖昧な「有害」の基準
しかし、これらの「有害」基準はかなり厳しいというか妙なものであり、議論となりました。例えば版画的な絵の『百八の恋』という作品は主人公の自由さを出す意味で裸にはなるのですが、欲情を目的としているとは思えません。それなのに指定を食らったりしました。さらにジョージ秋山氏の『ラブリン・モンロー』という作品は、ある戦争下の国の娼婦の物語なのですが、なんと全キャラは全部動物の擬人化描写。たしかに娼婦ものなので交尾はありますが、なんというか動物の交尾にまで指定をかけてしまったということになります。
■参考:有害コミック規制の波に巻き込まれた『百八の恋』と『ラブリン・モンロー』 - 空気を読まない中杜カズサ
とにかく、もう裸が出ているとダメ、という雰囲気だったのですね。
おそらく当時の基準からすると『To Loveる』だったらおそらく指定されていた様な気がします(実際指定された『いけないルナ先生』あたりのエロ度もそのくらいだし)。実際、桂正和氏の代表作でもある『電影少女』も有害指定を一部自治体から受け、修正して発刊することになりました。
パソコンソフトにも押し寄せる規制
この一連の流れの影響は、当時まだ市場が小さかったパソコンソフトにも影響してゆきます。1991年11月、京都府警察本部はパソコンゲームソフトを製作する会社を「わいせつ文書図画頒布」容疑で捜索します。
■参考:沙織事件 - Wikipedia
その後、1992年7月、宮崎県で全国初のパソコンゲームソフトの有害指定を受けますが、その中にはガイナックスの発売した『電脳学園』も指定され、後に取り消しの行政訴訟へと発展します。
これらの流れが、後のコンピュータソフトウェア倫理機構の設立へと繋がってゆきます。
規制反対運動
しかし、尚も運動は激化し、まるでそのままお上推薦のもの以外のマンガはなくなる勢いにまで発展するところでした。大げさではなく。まだ子供と言える年齢だった自分でそう感じたのですから、リアルタイムでこれを見ていた人は本気でそう思っていたかもしれません。
しかし、そんな激しい規制運動の動きの中、各地の弁護士会、出版労連、そして日本ペンクラブなど作家の団体は、これらの規制運動に各立場から疑問を呈し、反対の声が上がり始めます。その動きの一つが、1991年結成された「『有害』コミック問題を考える会」。ここでは条例強化反対を掲げ、集会が行われ、多数のマンガ関係者が参加したとのこと。
『コミック表現の自由を守る会』結成
さらに1992年3月、マンガ家や作家、書店主など出版に関係する人達を中心として「コミック表現の自由を守る会」が旗揚げされます。発起人は石ノ森章太郎、さいとう・たかを、ちばてつやといったコミック会大御所の面々。
ちなみにこのあたりで、発起人のひとりである山本直樹氏の「Blue」が都条例で「不健全」指定され、廃刊になります。これは性描写やドラッグを含むものの青春群像的なもので、この作品が有害論争のひとつの中心となります。
そして、雑誌やメディアなどでは、これらの有害問題や法規制についての議論が巻き起こります。
その後、規制運動はやや下火に
しかし1990年の半ばにさしかかると、さすがに時間が経ってやや冷静な議論や思考が行われる様になったのと、「成年コミック」マークが機能して、ゾーニングが出来る様になったためか、それまでの激しい規制の波はだんだんと影を潜めてゆくようになり、マンガ雑誌にも次第とそれらしき描写が復活してゆきます。
「『有害』コミック問題を考える会」は「マンガ防衛同盟」と改称後、2001年には「発展的解消」を遂げており、その活動は「NGO-AMI」へと継承されているとのこと。
そして『コミック表現の自由を守る会』についてもおそらく活動は無い模様。代表の石ノ森氏も1998年に亡くなりました。
これらが遺したものは何だったのか
さて、これらは何だったのか、というのは様々な考え方があるでしょう。ただ、ゾーニングを残したのはプラスだったかもしれませんが、多くの負の遺産も遺してしまったかもしれません。こういった成年的な描写に対して、個人的には子供に見せるのには困るものもあるのでゾーニングはやむを得ない思う面もあるのですが、そのゾーニングなど基準というものの信用性をあの過激な運動で表現側が全く信じられなくしてしまったのは大きいのではないかと。なんというかゾーニングを盾にして大人が見る表現媒体全体を規制する動きに繋がるのではないかという感じで。
現在でもコミックなど規制の動きが出てくると非常にピリピリするのは、あの時の過剰な悪夢が記憶に蘇る人も多いのではないかと。最近児童ポルノ法改正の議論が交わされますが、これに反対意見が多いのは実際に被害を受けている人を軽視しているのではなく、一度でも認めてしまうと段階的にこの時の激しい規制がそのまま、いやそれ以上に行われるのではないかと思っている人が多いのではないかとも思えます(つか、この問題も非常に複雑なので、表現の自由だけでは語れない側面も多いのですが長くなるのでそれはまたの機会に)。実際、その当時の規制推進派が現在政治家として有力な地位にいる例は多いとのことなので(これは党を問わずに)。
ちなみに今回調べてみたら、以下の様なエントリーもありました。本当かどうかは詳しく調べていないのでわかりませんが。
■90-91年の「有害コミック」撲滅運動と、宗教右翼 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記
■「有害コミック」撲滅運動の歴史と背景/田辺市/痛みを想像するとい - kitanoのアレ
時代により基準は変わる
ちなみにこの1990年あたりの有害コミック騒動の前も、1970年代にはジョージ秋山の『アシュラ』『銭ゲバ』、それに永井豪の『ハレンチ学園』などが批判を受け、追放運動まで起こりました。しかし現在、『銭ゲバ』はドラマ化され、永井豪氏は記念館が設立されるようです。
■中日新聞:永井豪記念館へGO! ハニーもデビルマンもいるZ:石川(CHUNICHI Web)
また、1980年代にはマンガの神様と言われた手塚治虫が、『ジャングル大帝』などの黒人描写で批判を受けたのも有名です。そして前述の様に、当時有害コミック指定を喰らったものでも、現在では名作と言われているものもわりとあります。
このように時代によって基準は変わるものです。故に全てを一元に規制する「表現規制」はその社会状況と照らしあわせて十分双方の議論を重ね、慎重を期さなければならないでしょう。
■参考:有害コミック/ 同人用語の基礎知識/ ポルノコミック
■参考:阿部定事件(無限回廊 endless loopさん)
※下の方の「『愛のコリーダ』摘発事件」。ここで東京地裁は「わいせつの基準は社会通念の変遷によって変わる」とした。
今、あの1990年代あたりに小中学生だった人は、今は20代後半から30代になっています。その時のことをどう思っているでしょうか。
また、現在規制が行われたとして、そのことは数十年後、どのように受け取られているでしょうか。
〓参考文献〓
・『誌外戦 コミック規制をめぐるバトルトイヤル』コミック表現の自由を守る会(創出版)
・『有害コミック問題を考える』(創出版)
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ジオシティーズ全盛時代の思い出を語る
- 2009-05-03 (日)
- インターネットの歴史

アメリカYahoo!のジオシティーズが今年中に閉鎖となるようです。
■米ヤフー、GeoCitiesを年内に終了へ–個人ホームページ時代の終焉とともに:ニュース - CNET Japan
ネット歴が5年以内の人にはご存じのない方も多いでしょうが、このジオシティーズというのはインターネットのホームページスペース提供サービスで、現在はYahoo!の一部となっていますが、もともとはGeoCities社が運営していたもので、1990年代後半のインターネット黎明期~発展期には、ここがホームページスペースの主流であり、有名な存在でした。ちなみに他にもTripodとかtoktokなんてのもありましたね。
■GeoCities - Wikipedia
■Tripod - Wikipedia
せっかくなので、オッサンホイホイになるのを承知で当時の思い出とかいろいろ書いてみようと思います。
日本インターネット黎明期の代表的HPサービス
1996~7年あたりから徐々にインターネットが日本でも普及し始め、次第にインターネットに慣れたユーザーが増えてゆき、そんな人の中に「自分のホームページを作りたい」という需要が生まれ始めます。当時からTripod、toktokなどのサービスはありましたが、一番主流だったのがこのジオシティー。それの理由は、「無料」であったことと、「始めるのが簡単」だったことなのですよね。
当時のインターネットサービスはたいていが有料で、プロバイダ代も月2000円くらいが普通、しかもテレホーダイじゃなければ従量制、それなのに速度はISDNでも64Kbpsという時代でした。つまりお金がかかるのが当たり前だったのですよね。また、プロバイダでもホームページスペースを用意しているところはありましたが、そこも追加料金がかかる場合が多かったです。そこで無料のサービスというのは、当時は新鮮でもあり、また魅力的だったのでうよね。
さらに、ほかのサービスではFTPでのアップロードなど、初期からそれなりの知識が必要でしたが、ジオシティーにはウイザードがあり、今のブログと同じく簡単なものならすぐに構築できた点も大きかったと思います。
ちなみに当時のホームページは、CSSでさえほとんどなく、HTMLベタうちでテーブルを駆使して構築しているサイトが多かった様に思えます(フレームでさえ嫌っている人がわりといた)。でも、それ故に自分でデザインを構築する必要があって、それが味になっていました。もちろんいいものもあれば、個性が溢れまくっているものも。そんな時代の名物のひとつが伝説の愛生会病院かもしれません。
■愛生会病院(たぶんブラウザに負担をかけます)
私もはじめてHPを構築した時はジオシティーズでしたね。しかしゲームやマンガ系の趣味カテゴリのサーバは空いているスペースが少なく、キリのいい番号が空くのを狙って取りにいったものです。ちなみにそのサイトはゲーム系でしたが、今探しても無駄です。というのは、当時のジオシティーズでは、「2~3ヶ月更新がないと消滅する」という掟があったので。HDDの容量も少ない時代でしたからね。たぶん借りられるスペースの大きさは20Mくらいだったと思います。
「和塩」「米塩」
さて、こういったHPは趣味にも使われましたが、一部ではアングラにでも使われていたようです。で、最初の海外のジオが「米塩」、日本のが「和塩」なんて呼ばれていましたね。あと、「鳥」(Tripodのこと)とか「地球病」なんて言葉もありましたっけ。
■参考:地球病 - 通信用語の基礎知識
でも、当時アングラ扱いされていた告発系サイトの情報が簡単にブログに書かれていたり、MADがニコニコ動画で見られたりすると、時代が変わったなあとオッサンは思うわけで。
ジオシティーズ騒動
あと、ジオシティーズ騒動なんてのもありました。これはいきなりジオシティーの規約が変わり、「アップロードした時点でコンテンツに関するモロモロな権利を無条件にYahooに認めるだけでなく、著作人格権をも行使してはいけない」と読み取れる条項が足された件です。ある意味それ以後もネット上で弾に起きる、いきなり規約改定をして騒動になるパターンの先駆けのように思えます。
■ジオシティーズが新規約で利用者のコンテンツを横取り - スラッシュドット・ジャパン
ジオシティーズの衰退とブログサービスの台頭
そんなジオシティーズですが、2000年代に入るとほかの無料サービスも増え、さらに容量もジオより大きくなってきました。そして慣れた人はプロバイダのサーバに移るなどの傾向も見られるようになりました。決めてとなったのが、2000年代前半にブログが台頭してきたこと。これにより、初心者の導入口がそちらになってしまい、またその利便性からブログに移転するサイトも増え始め、ホームページスペースの需要自体が縮小してゆきます。
そして今に至ります。Yahoo!でもYahoo!ブログのほうがクローズアップされて、現在ジオの場所を探すのにちょっと手間どりました。しかし日本のジオはまだあります。
■Yahoo!ジオシティーズ - 容量50MBのホームページスペース。日記やゲストブック、アバターなどの機能。
ただ、もしかしたら日本のジオシティーもそのうち役目を終えて消滅するのかもしれません。ただ、それはどのWebサービスにも言えることでしょう。むしろポータルとして10年生きのこっているYahooとかのほうが希な存在なわけで。
でも、ジオもたとえ消えても一時代を築いたものとして、記憶には留めておきたいなと思うわけです。
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『ぷよぷよ』のコンパイルはそれからどうなったのか
- 2009-04-26 (日)
- ニュースのそれから

多忙だったため、更新のほう停止してしまってすみません。まだなんか忙しい感じですが、出来る限りは更新したいと思います。
以前、ゲームミュージックなブログのほうでこんなのを書きました。
で、ここで重要なのに書き忘れていた会社が一社ほどありました。で、せっかくですので、ここで書いてみようと思います。その会社は、人気落ちものパズルゲーム「ぷよぷよ」を生み出した「コンパイル」。
パソコンゲームソフト会社の老舗企業であったコンパイル
コンパイルが設立されたのは1982年。まだパソコンもテレビゲームも一般家庭に浸透していなかった時代です。社名はプログラム用語のコンパイルより。
■コンパイルとは 【compile】 - 意味・解説 : IT用語辞典
当初はコンパイルもゲーム以外のソフト開発中心だったようですが、そのうちにゲーム開発の乗り出します。
主にリリースの対象としたのは、MSX。ここでコンパイルは『ザナック』『アレスタ』といったシューティングゲームを発表し、人気を集めます。また、ディスクマガジンというミニゲームなどが収録された雑誌タイプのディスク『ディスクステーション』を販売していました。これは当初はMSX2用でしたが、後にMSXの普及が停滞、代わりにNECのPC-98が普及してくると、そちらでも出されるようになります。
まだ家庭にパソコンが普及していない時代、このようなゲームディスクも少なかったため、PCゲームユーザーの間ではわりと有名な存在となりました。
■参考:コンパイル・ディスクステーションの歴史(1996~2000年)を振りかえる
さて、このディスクステーション内には、ダンジョン探索RPGとして『魔導物語』というゲームが収録されていました。そしてこのゲームの主人公は「アルル」という女の子でした。
『ぷよぷよ』誕生
さて1990年あたりでは、ひとつのゲームが大ブームを起こしていました。それは『テトリス』。有名すぎて語るまでもない落ちものゲームの金字塔です。ここより「落ちものパズル」というゲームジャンルが生まれ、セガの『コラムス』などが生まれます。
さて、その『魔導物語』に登場したキャラクターを利用して、コンパイルも一つの落ちものパズルを開発します。それが『ぷよぷよ』。
初出は1991年10月25日に発売されたMSX2版とファミコン ディスクシステム版。ちなみに当時でもすでにディスクシステムはすでに過去のハードとなっていたことを付け加えておきます。ただ、この時点ではハードがハードなこともあって、あまり大きな話題にはなりませんでした。
しかし、その後セガが販売元となりアーケードゲームとして出されると、これが大ヒットとなります。
人気が出た要素としては、落ちものパズルとしてのシステムとして単純だけど奥が深かったこと、それまではひとりで延々と限界に調整するのが主流だった落ちものパズルに「対戦」の要素を組み込んだこと、それとキャラクターのかわいさで多くの客層(当時のアーケードゲームとしては珍しい女性も)をとりこんだことなどがあるでしょう。
そして『ぷよぷよ』はメガドライブをはじめ、スーパーファミコン、携帯機とさまざまなゲームに移植され、どのハードでもテトリスと並ぶパズルゲームの定番ソフトとして好調なセールスをマークしました。さらに続編である『ぷよぷよ通』が発売されるとさらにその人気は盛り上がります。
奇抜な活動をする会社
さて、この頃からコンパイルは他のゲーム会社にはない、目立つ活動をし始めます。まず、『ぷよぷよ』の大会イベントを頻繁に行います。ゲームショウなどでもコンパイルが出店したブースはそのゲーム大会が毎回行われていました。ちなみにそこではユーザーからボランティアサポーターを募集していました。
■コンパイルサポートアソシエーション - Wikipedia
つか、今思うとよく問題なく機能していたなあと思います。運良くファンの意識が高くて、目立った悪意が入り込まなかったからでしょうか(もしくはこの中にイベントのプロも参加していたか)。
ちなみにこのイベントではぷよぷよ関連グッズが売られていたのですが、そのうちもみじまんじゅうをぷよの形にした『ぷよまん』は人気を博していました(実際普通にうまかった)。
新入社員の大量採用と丁稚制度
その中でも特徴的だったのが同社の人事制度。新入社員を「丁稚」としてピンクのジャージを着せて働かせていました(この模様はゲーム雑誌などでもよく見られました)。しかも教育方針も一年間は雑務のみ、雑務の合間に先達から技術を盗み研鑽すべしといった徒弟制度だった模様。ただ、あとにこの会社に所属していた有名クリエイターがが多く出ていることからその制度は即戦力を無駄にしてしまったとも言えます。
さらにこの採用人数が大手ゲーム企業より多いくらいで、この規模の会社としては異例でした。そしてこの大量採用が、後の経営難に繋がります。
経営難、そして倒産
1990年代後半、『ぷよぷSUN』などシリーズは安定して人気を博してはいたものの、さすがに陰りが見え始めました。そして他のソフトでも続くものはなかなか出ず、前述のイベント費や人件費がかさみ始めます。
そこでビジネスソフト方面に再度進出し、グループウェア『パワーアクティ』を開発し、川島なお美などをCMで起用しますが、開発費、広報費のわりに売り上げは立ちませんでした。
そしてとうとう1998年3月18日に広島地方裁判所への和議を申請、和議は受理されます。
■コンパイルが広島地裁に和議申請、今後はイベントを縮小しゲーム制作を柱に
この際新卒の採用予定者だった人は内定取り消しとなってしまいました。さらに内部の社員もこの倒産以降、どんどん抜けて他社へ移ってゆきます。
倒産の原因はほかにも言われていますが、そのへんはソースがないので、参考程度に。
破産、そしてアイキへ
さて、そのコンパイルは経営が破綻後、本社を広島の郊外、そして埼玉県に移転します。しかし2003年1月に会社を解散、同年11月6日には東京地方裁判所より破産が宣告されたとのこと。
しかし同時期に「アイキ」という会社が設立され、コンパイルの社長もここに合流し、事実上の存続会社になったということです。
ただし現在はそのアイキも現在ではHPが消滅し、活動を停止しているようです。ここから出ていたものも、他の会社に権利が移っています。
■の~みそコネコネ Compile Station|コンパイル ステーション
『ぷよぷよ』の版権はセガに
さて、『ぷよぷよ』ですが、和議に際してシリーズの商標権等が他社に売却されましたが、その際アーケード版の販売元であるセガに渡っていたようです。ちなみに前述の通り『ぷよぷよ』は『魔導物語』のキャラから出ていますが、その他の残りの魔導キャラはアイキに受け継がれていて、それは他者に譲渡されたということです。
そして現在でも『ぷよぷよ』は親しまれ、多くのハードで出ています。携帯を購入したときにディフォルトアプリなんかにもなっていたりしますね。
そして最新作の『ぷよぷよ7』はセガから7月に出るようです。
■セガ、「ぷよぷよ」シリーズ最新作発売決定、DS/Wii/PSP「ぷよぷよ7」 -GAME
Watch
コンパイルの残したもの
しかし、いろいろな意味でゲーム業界の歴史に残る会社だったと思います。『アレスタ』『ザナック』『ディスクステーション』で見せた様に、よいゲームを作る底力はあったと思われる会社なので、無くなったのは惜しまれます。
ただ、その会社はなくなっても、前述のゲームの他にいろいろなものをコンパイルは残したと思われます。特にここからゲーム業界に入った人材は、かなりの数の人が現在でも活躍しています。
しかしゲーム業界にはこういったベンチャー性ってのがなくなりましたね。それは安定したと考えられるのでいいとは思いますが、こういった会社がまた出てきてもおもしろいのではないかと思うのです。ただし経営はしっかりさせて、社員が安心して仕事を出来る体制があるという前提で。
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伝説のテキストサイト『ひきとけとからあるまにまに』はそれからどうなったか
- 2009-04-01 (水)
- 4月1日

※この文書はエイプリルフール用だったものです。当然嘘ですので。
サイトやブログには、その管理人がゲームやアニメ、マンガなどにおいて、好きになった作品もしくはそのジャンルについて書きたいと思ったことから開設した、いわゆるファンサイト系のものが数多くあります。これは日本のインターネットの初期からあった傾向で、特に2000年代前後はLeafやKey作品のファンサイトが増えていました。また、現在でも続くニュースサイトやブログ(特に現在のアキバ系と呼ばれる方面)の中にも、一番最初は何かのファンサイトだったというところも数多くあります。
■参考:Leaf・Keyのゲームがインターネット上で盛り上がりを見せた奇跡的な時代 - 空気を読まない中杜カズサ
しかし、その原動力となったのは、何もLeaf・Keyの作品だけではありません。この10年間におけるいろいろなゲームが、数々のサイトの設立のきっかけとなってきた面はあるでしょう。その中で、おそらくは多くのサイトの設立の原動力となり、その影響はLeaf・Key作品にも勝るとも劣らないと思われるにもかかわらず、一般の人にはあまり知られていないゲームがあります。その名前は『アミヌフ・タクト』。
このゲームについては以下で書きましたので、そちらをご参照下さい。
■幻のソフト『アミヌフ・タクト』が遺したもの
で、ここではその『アミヌフ・タクト』の影響を強く受け設立されたと思われる伝説のサイト『ひきとけとからあるまにまに』について書いてみようと思います。
ファンサイトからテキストサイトになった『ひきとけとからあるまにまに』
『ひきとけとからあるまにまに』は、ニュースサイト&テキストサイト全盛時に生まれたサイトです。そして文章と同様に本人が書いていたのかイラストも併載されるおもしろいページだったように記憶しています。ちなみに『ひきとけとからあるまにまに』は『アミヌフ・タクト』に出てくるヒロインの名前と言われています。
で、そこの管理人(たしかasuzakという名前だったような)は本人は相当なファンだったのか『アミヌフ・タクト』のファンサイト風のものから始まったはずです。そしてその100週目、200週目と回を重ねるプレイ日記を中心に、その作品の分析、イラストなどが主だったと思います。当時見られたエロゲ論断的な文章もけっこうあったと思われます。
で、そのうち『アミヌフ・タクト』の話題がいろいろな事件?もあって縮小してくると、ほかのいくつものサイトにあったようにニュースサイト&テキストサイト化していったと思われます。しかしこのサイトにおいてはそれが功を奏したのか、一躍人気サイトに躍り出ます。自分の中の記憶では、当時としては珍しい1日万単位のアクセスを集めていたように思えます。
一番盛り上がったのは、「かっぱえびせんを合法ドラッグより常習性を持たせることで駆逐しよう」という、お菓子の料理企画でしたかね。しかしあれはかなり無茶をしていたような。何せ……いや、さすがに洒落にならないかもしれないのでやめておきましょう。あと、「あらゆる場面で『ドリフの盆回り』を流してギャグにしてしてしまおう」という企画は、本人が勤めている会社のクビを回避したという伝説が残っているそうです。
その人気は一時期は『侍魂』や『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』のReadme!一位を破るのはこのサイトではないか、とまで噂されていたように思います。
突如更新を停止した『ひきとけとからあるまにまに』
さて、さっきから「思われます」と言う曖昧な表現を多用しているので、不思議に思われた方も多いかもしれません。実はこれには理由があります。さらにネット歴が短い人には『ひきとけとからあるまにまに』の知名度が低いこととも。
まず、とある事件?によって、設立動機となった『アミヌフ・タクト』が配布中止となり、そしてその話題もいろいろあってネット上から消えてゆきます。そして多くのサイトはそのコンテンツを扱うのをやめてニュースサイト、テキストサイトに移行していきました。しかし『ひきとけとからあるまにまに』は珍しく、その話題を扱うのをやめませんでした。
しかしある時、その管理人は「俺は真実を得た! ミーハイトス、アギラヌエに向かう!」というメッセージと共に、更新停止。その後、コメント欄に「彼は失踪しました」とか「いや、実はそれは嘘で実は……」「いやいや、そのコメントブラフは実は嘘で実際は……」というのが繰り返し書かれ、有耶無耶になります。そのうちサイトが消滅してしまいました。
一応、そのサイトの残骸を乗せておきますが、当然見られません。
■参考:ひきとけとからあるまにまに
その謎の疾走、もとい失踪っぷりは『終る世界』のzedoc氏に匹敵するともいわれました。
何故、『ひきとけとからあるまにまに』は消えたのか
しかし、何故いきなり『ひきとけとからあるまにまに』は更新を停止し、失踪したのでしょうか。その理由は今でも判明していません。しかし理由としては以下のようなものが噂されています。
(1)自作自演説(失踪も嘘)
(2)『ひきとけとからあるまにまに』が『アミヌフ・タクト』消滅の真実に近づいたために消された
(3)『ひきとけとからあるまにまに』は『アミヌフ・タクト』の開発陣の1人がやっている自作自演サイトだったが、退社のためにこういうオチに
(4)MMRに強く影響を受けて、独自の聖地ミーハイトスとアギラヌエを頭の中に作り出してそこを目指した
(5)宇宙人に連れ去られた
(6)もうネタがない
などなど。
ただ、このことを語る人もいません。それは『アミヌ・フタクト』の制作元、ソフトオットセイも謎の消滅をしてしまったこと、それから昔『アミヌ・フタクト』を扱っていたサイトの多くが閉鎖し、関連してそのことを書いていたサイトもログを消してしまい、あまり語らないことがあります。元ゲームが不可解なことになったので、それのせいもあるでしょう。
今では完全にgoogleからも消えてしまっていますが、それが自然なものなのか、それとも何者かの手によるものなのかは不明です。
今でも『ひきとけとからあるまにまに』の後継が存在する?
ただ、ある情報によると、どうも有力なのはどこかのブログで書いているというものです。しかも複数のブログを細々と運営し、それはゲーム系からはてな、歴史ジャンルにも及んでいるという話。ただ、真相は不明です。
しかし、サイトというものはこのように一瞬目立ったと思っても、時間が経つと多くの人にとっては忘れ去られ、ごく一部の人が昔を思い出す時にたまに浮かび出てくるくらいなのですよね。その意味で一期一会の世界なのかもしれません。
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代々木アニメーション学院はそれからどうなったのか
- 2009-03-29 (日)
- ニュースのそれから

私は10年前くらいはエヴァブームの影響もあってアニメをよく見ていました(今も見たいのはあるけど時間がないので、たまにレンタルするくらいになっている)。当時は深夜帯のアニメというのはほとんどなく、コナンとかファミリー向けを除けば多くはテレビ東京系で6時台にやっているものでした。
で、その時間帯、非常によく見かけるCMというのがありました。それはセガ系のCM(せがた三四郎とかね)、角川系のCM(まあアニメの権利元なことが多かったし)、そして「代々木アニメーション学院」(現在の代アニ)のCM。
しかし今から約2年前の2006年12月に以下のようなニュースが流れました。
■ITmedia News:「代アニ」運営会社、民事再生申し立て
これは上のアニメなど代アニをよく知っていた世代の人間にとっては衝撃的な事件でした。で、この前後にもいろいろあったのですが、今日はそのへんについて書いてみようと思います。
幅広い広告展開で知名度を上げた代々木アニメーション学院
まず、代アニを簡単に説明。ここは1978年5月25日映像作家大矢敏行氏によって「代々木アニメーション学院」が設立されました。名前の通りアニメの制作者や声優などを養成を目的に作られたものでしたが、次第にゲームなど他のものも含んだマルチメディア系の学校となっていきます。
さて、ここは専門学校のように思われがちですが、どうやら種別としては「無認可校」であり専修学校ではないとのこと(故に定期券などは学割がきかないらしいです)。
さて、ここの学園を有名にしたのは先述のようにその広報展開がかなり幅広かったからです、アニメの時間帯にこのCMが流れるのはもちろん、アニメ系、ゲーム系の雑誌には必ずと言っていいほど、代アニの広告が入っていました。故に、アニメ専門学校と言えば代アニというくらい、有名な存在でした。
そして、実際にこの学校に通っていた人で、プロになった業界の人というのは非常に大勢います(卒業したとは限りません。途中で仕事が出来ると抜けてしまう場合も非常に多いようなので)。
余談ですが、私は受験時に代々木にある代々木ゼミナールに通っていたために、この代アニがある代々木をよく利用していました。その代々木駅には掲示板に一枚の白い大きな紙が毎日貼ってあり、そこに代アニ生などが落書きのようにイラストを描き込んでいくのが名物となっていました。インターネットの全く普及していなかった時代のコミュニケーション手段でしたね。私の場合は当時ゲーセンに勉強そっちのけで行っていたのですが(おい)、代々木のゲーセンにあったコミュニケーションノートは、やけにイラストが満載だったのが印象的でした。あと、掲示板にハガキ大のイラストが大量に貼っていたような。
100%以上の就職率?
ただ、この代アニ、評判は必ずしもよくはありませんでした。というのはまずここのコピーには90年代は必ずと言っていいほど高い就職率が書かれていました。そして時には100%を越えるものまで表示され、それを見た人からはどうなっているのかと噂されたものでした。
これは明確なソースはないので噂レベルですが、どうやらひとりが複数から内定をもらったらそれを2人分として勘定したが故に100%越えを出していたという話。また、アニメやゲーム業界外の就職(アルバイト)でも就職率としてカウントしたり、はてはちょっとバイトした程度でも就職とカウントしたりと行ったことが行われていたという噂です。ただ、現在ではこういった形での公表は行われてはいないようです。
ただ、これも紛らわしい数値を大々的に公表したことはともかく、就職率が実際にはそんな高くないことについては代アニというかこの手の学校ばかりを責められない面もあるでしょう。実際に行っていたわけではないので詳しくはわかりませんが、どうも趣味系の専門学校の場合、そこに入ったことに満足してしまってプロになるための努力をしないで遊びほうけてしまう人がいるという話を聞きます。そういう努力をしない人を雇う度胸のある会社はアニメやゲーム会社に限らず存在しないでしょう。ちなみにこの手の専門学校の実態について語ると、必ず出てくるのが『オールナイトライブ』の『ゲーム専門学校から見た風景』ですね。
もちろん前述のように、やる気のあった人はちゃんとデビューして実績を重ねていて、プロになっていますし、私の知っている人でも代アニ卒業できちんと仕事をしている人はいます。つまり、大切なのは学校で何を得るかということで、入っただけで将来の仕事が保証されるようなところなんてどこにもないということですね。つか、一番大変なのはむしろプロになってからなのでしょうが。まあ、この手の学校はその実態をちゃんと説明はしてから入学を募ってもらいたいとは思いますが。
公正取引委員会からの排除命令
代アニはこのように、アニメ専門学校としては有名な存在となりました。そして全国各地に学校を作ってゆき、拡大して行きます。2002年頃にはアニメ学部に毎年500名ほどの入学者がいたとのこと。しかし、その代アニは2006年に大きく動きます(当時の生徒数は全国で約6000人くらいだったとのこと)。
まず、2月に笑点でおなじみの三遊亭楽太郎が学園長に就任することが発表されます。これは伊集院のラジオでもネタにされていたような。
しかし、この学園長就任からわずか後、公正取引委員会から排除命令が下ります。
■痛いニュース(ノ∀`):代々木アニメーション学院、学費返還せず 公取委が排除命令
これは、募集要項などで「入学辞退者には学費を返還」としながらも、59万-65万円を納付させた人が辞退した場合にキャンセル料などの名目でうち22万円を返還しなかったことが景品表示法違反に当たるとされたようです。
これにより、信用が低下します。
社長解任にまつわる事件
そして2006年12月、最初に触れたように、とうとう民事再生法の適用となるのですが、その民事再生法適用の数日前、いろいろな動きがあったようです。まず、代アニの運営元、株式会社代々木ライブアニメイションにおいて、経営陣の刷新があり、それまでの経営者であった大矢敏行氏が辞任します。経営不振についての引責辞任をさせられた形のようです。
しかし、それと前後して、来年度の代アニ入学予定者に対して手紙が届けられます。それは入学金の振込先を「学校法人大矢学園」にしろというもの。これには理事長である三遊亭楽太郎氏の名前と印章が押されていたということです。しかし、代々木ライブアニメイションはこの人を退任させとうとしていたところであり、寝耳に水の話。
これは、辞任が避けられなくなった大矢氏が、自分の管理する口座に金を振り込ませようとした詐欺であるという疑いがかけられました。楽太郎氏も無断で名前を使われたということで声明を発表し、この先に振り込まないようにとの警告が出されました。
■livedoor ニュース - 学費振込詐欺で揺れる名門「代々木アニメ学院」
民事再生法適用
そして12月6日、負債総額22億円で代々木ライブアニメイションは民事再生手続きに入ります。
■イミフwwwうはwwwwおkwwww 代々木アニメーション学院が倒産!負債総額22億円
これだけの負債が出た出た理由として、競合他社の台頭による生徒獲得競争の激化(少子化の影響もあるでしょうね)、広告費の増大、それと手形の濫発なども挙がっています。ちなみに会見では、現経営陣により前社長大矢氏への非難がかなり挙がったそうです。
あと、Wikipediaでこんなのが貼ってありました。
■ネット版 アニメレポート : アニメ制作体制の変遷 その10
そして再建へ
その後2007年8月14日付けで東京地方裁判所にて民事再生計画の認可決定が出されたとのこと。
そして再建手続きに入りますが、リップルウッド・ホールディングスが再建支援を行い、現在再建中とのこと。
あと、一時期「代アニ」に名前変えたはずなのに「代々木アニメーション学院」に戻ってますね。一応見た限りでは、通常通りに業務が行われているようです。
学校に入学する時は下調べをよくしてから
ここでは代アニのことについて書きましたが、こういった学校が潰れる事例は他にも起こっています。例えば英会話学校のNOVAがありますね。それと留学仲介会社「ゲートウェイ21」が破綻した問題なんてのもありました。
■英会話教室のNOVAはあれからどうなったのか - Timesteps
このように学校は、気をつけないと授業料を払っても潰れてしまう可能性というのがあるわけです。ですのでいずれの学校でもそこに入学しようとするときには、しっかりとその状態を調べることは大切でしょう。
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RSSヘッドラインニュースはじめました
- 2009-03-25 (水)
- 日記・雑文

トップページからいらっしゃった方はお気づきでしょうが、ページの上の方に「Timesteps News」というものを作りました。これはいわゆるRSSのヘッドラインで、自分がブックマークしたものがここに表示されるようになっています(つまりRSSなのにほとんど手動だということです)。
で、このサイトの特徴にあった「ニュースのそれから」(無罪報道含む)「『あの人は今』系の話題」「インターネットの歴史」に関するニュースを見つけたらブックマークして、ここに表示させるようにしました。
何故こんなものを作ったのかというと、最近Timestepsで書くまでではないけど、上のようなニュースを個別に見かけることがあったからです。で、放っておくのももったいないから、こういう形式にしようという感じ。まあ、こんなニュースだけをまとめてやるニュースサイトさんもないだろうし、ならやってもいいかということで。
まあ、ニュースを見つけたら追加するという感じになると思いますので、何かのついでに見てください。
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